2025年4月22日にnoteで公開した記事のリバイバル。
なんでもかんでも数値に変換しやがって、という苛立ちが滲んでいる。
最初にことわりを入れておくが、あくまでも私がやらないという話である。
あすけんを活用している人をとやかく言うつもりはない。
バランスよい食事を摂ることはとても大事な事だ。
そんな食事の栄養管理をしてくれるのに最適なアプリ、あすけん。
いわば食べた食事を記録するだけで、評価して具体的なアドバイスをしてくれる。
便利で良いアプリだ。
だが私は絶対にやりたくないなと思った。
入力が面倒とかそういう理由もあるが、もっと本質的な理由がある。
私が真っ先に考えたのは
「何で食事まで評価されなきゃいけないんだ」
学校の成績、仕事の査定、SNSの閲覧、PV数、インプレ…。
ただでさえ我々の行動は数値で評価され続けている。
そのうえ食事まで評価されたらあまりにも息苦しい。
ここはディストピアか。
食事は、理屈で考えたら必要な栄養だけ摂っていればいいはずだ。
完全食だって存在する。理論値最強の食事。
理屈だけで考えたら「え、これだけでいいじゃん」となるはずだ。
冷蔵庫に完全食だけ常備しておけばいい。
今日何食べるか悩む必要もなくなる。便利。最強。
が、「完全食だけで暮らしてます!」という人は少ない。なぜか?
食事に楽しみというものを見出している人が圧倒的に多いからである。
外を歩けば様々な外食の店が立ち並び、コンビニにも多種多様の食べ物が並んでいる。
食事とは文化だ。
そもそも人間が猿から進化した理由は火にあるし、料理とも密接に結びついている。
そう考えると、食事って本能・感性ベースで人間らしい行為と言えるのではないだろうか?
おいしい物を食べる事だって、立派な娯楽の一部である。
あすけんは、その娯楽を評価させるようなものなのではないだろうか。
カラオケの採点システムのようなものである。
好きな人もいるだろうが、私はちょっと苦手だ。
何でいちいち歌声評価されなきゃいけないのよ。
めちゃくちゃ上手くなくても、魅力ある声の人とかプロでもいっぱいいるじゃん。
カラオケの採点もあすけんのスコアも、軽いノリでやるならまだ分かる。
なんか真面目にやりすぎてる人が多い気もする。
軽く調べてみたが、あすけんを気にしすぎて病みかけてる人も見かけた。
健康になりたいのに病んじゃダメじゃん。
そんなわけであすけんを使わない私だが、不摂生すぎるのも良くない。
とりあえずご飯の茶碗を少し小さめのものにしている。
おかわりはせず、この1杯で済ませるというマイルール。
他には五穀米にする、など工夫ポイントはあるだろう。
他には夜食は食べないようにする、飲み物はなるべくお茶と水にする、1日1本野菜ジュース(自分がおいしく感じるもの)を飲む。
マイルールはこのくらいで、基本好きなものを好きなように食べている。
あすけんの女にめちゃくちゃ怒られそうだ。
このゆるい食事制限と、昨日の記事にも書いた毎日のフィットボクシングのゆるい継続。
ガクッと痩せたわけではないが、じわじわと体重を落としている。
3〜4ヶ月で5kg前後落ちたんじゃないだろうか。
地味だけど最も効果的なんじゃないかな?
感性はある程度は制御するべきだけど、理性で無理矢理抑えつけるものじゃないと思う。