2025年3月12日にnoteで公開した記事のリバイバル。
noteの色々な記事を見て思う。
AIっぽい文章増えたなぁ〜…。
要点が理路整然としていてものすごくスッキリしているのだが、言葉に感情が見えないのだ。
プラスチックのような文章とでも言うべきだろうか。
こういう文を見ると「AIに投げました?」と疑うようになってしまった。
たまーに生きてるうえでの愚痴を書き連ねただけの、文体もへったくれもないぐちゃぐちゃな記事を見つける。
読みづらくはあるが、こういう記事の方がよっぽど好きだ。
言葉が体温を帯びているのである。
私の文章はどうだろうか?
個人的にはスッキリして読みやすい反面、感情やクセも乗ってる文章だなと思う。
感情の揺らぎがつぶさに現れているというか。
自分の文章は好きだ。
文章というのは本来人柄が滲み出てしまうものだと思う。
私の文章なんか、一見整った文なのに気難しい頑固ばあさんみたいな人柄がところどころ滲み出てるよなぁと思う。
その人柄が見えるか見えないかで「こいつはAIでは?」と判別しているのかもしれない。
数多あるnote記事を眺めても、この整ってるけど揺らぎが見える文章を書いてる人がまぁ少ない。めっちゃ少ない。絶滅危惧種レベルだ。
せめて整ってなくても、感情の揺らぎが見える文章…すら少ない。
ぶっちゃけnoteのおすすめは見ないし、「見つける」の欄もほぼ見ない。
記事をディグる時は自分の記事の下部にくっついてる「この記事もおすすめ」みたいな欄を漁る。
その方が似た思考の人を見つけやすいように思う。
note記事すらAIで書いてる人、彼らだって中身は人間のはずだ。
人間には必ず感情があるはずだ。
彼らの感情はどこに行ってしまったんだろう?
そんな事を思ったり思わなかったり。
これからも整ってるけど揺らいでる文章をどんどん書いていきたいなぁと思う。
この記事は整ってないけど。
どっちやねん。バーガーキング行きたい。