2025年2月2日にnoteで公開した記事のリバイバル。
ゲームは娯楽だ。楽しいもののはずだ。
だがかつての私は、楽しいからは逸脱したゲームの遊び方をしていたように思う。
病的なコンプ癖が発動。
アチーブを取るためだけにつまらない事にめちゃくちゃ時間をかけてたりとか。
ゲームを楽しむというよりはゲームで達成感を得る為に必死だった。
その過程を多少は楽しんでいたとはいえイライラする事も多かったし、やはり健全な付き合いとはいえない気がする。
昔ガチ勢とエンジョイ勢の違いについて考察した事があるが、結局は達成感を得るためにやっているか否か?とかその度合いなのだと思う。
目的が違うんだから永遠に噛み合わない。
ゲーム以外の趣味で達成感を得るようにしたら解決した。
というかあらゆる趣味で小さな目標を少しずつやる事で小さな達成感を得るようになった、と言ったら正しいか。
例えば「今日はこの毛糸を使い切ろう」「この絵を描こう」「この料理作ろう」「このゲームのストーリーを少しだけ進めよう」
一つの事に集中しすぎないようにした、と言った方が正しいのだろうか。上手く言語化出来ない。
とにかく言いたい事は、何事もバランスが大切だ。
明確にこう考えるようになってからは、ゲームでイライラしなくなった。
こう考えるようになったきっかけは、とあるゲームである。
あえて名前は出さない。
生活を捧げるレベルでのめり込んでいたし、実績集めの為につまらないと思うコンテンツもめちゃくちゃやっていた。
が、ある時ゲーム側が変わって全く合わなくなってしまった。
結局辞める事になった。
実績の為に費やした時間は水の泡になった。
データも全部消して吹っ切れた。
この実績集めで得たものは結局何だったのだろうか?
うーん…。強いて言えば忍耐力だろうか?
そんなものゲームじゃなくても培える。
今でもゲームという娯楽そのものは辞めていない。
一時期ゲームを完全に絶ってた時期はあるが最近また少しずつやるようになった。
最近は作業のお供にクッキークリッカーを立ち上げての〜んびり実績埋めたりしている。
前までの実績集めは「達成しなきゃ!そうするためには…」だったが、今は「まあいつか達成すればいいかな」くらいの感覚だ。
クッキークリッカーなんて他の作業しながら開いてるだけだし。
作業の合間に画面見て「おー結構集まったなぁ」なんて思ったりしている。ゆる〜い。
最近は他にホヨバのゲームやインフィニティニキ、鳴潮あたりをやっている。
どれも時間をかけてのんびりやっている。のでストーリーもまだ序盤だ。
先が気になって少しやりすぎてしまう時も多いが、昔みたいに「気になり過ぎたから1日かけて一気にストーリーやった」みたいなのはなくなった。
一気にやると逆に印象に残らなくてすぐ忘れてしまう。
面白いからこそ一気にやってしまうのではなく、何日もかけてじっくりやった方がいい気がした。
これも最近の学び。
昔は「早く最新までストーリー追いつかなきゃ!」って焦ってたりもしたが、それもなくなった。
焦って追いついたところでやる事すぐ無くなるし。のんびりやればいい。
Steamの積みゲーもやりたいが、まあ今やってるホヨバのゲームとかのストーリーが落ち着いたら手出そうかな、くらいの感覚だ。
昔はなぜ焦ってゲームをしていたのか。
「とっととゲームを全て終わらせて絵を描く練習しなきゃ。私はまだ絵もろくに描けないんだしゲームなんかやってる場合じゃない。でも続きは気になるからゲームはやめられない」とかそんな思考だったように思う。
余裕なさすぎだろ。
ちなみにこの時はゲームに限らず「この本を模写し終わるまで他の事は一切やれないな。やる気にもならない」という感じだった。しんどいて。
少しずついろんな目標を達成するようになってからは、だいぶ楽になった。
どれも中途半端にしか進まないので少しもどかしくはあるのだが。
そのもどかしさも楽しめる余裕が出来たという事なのかもしれない。