凡シュール

ぬるま湯がほしい時

凡シュールのエッセイ

つい一昨日まで思考のエンジンがフル稼働していたのに、その反動なのか何なのか今はあまり何も考えたくない
気圧のせいもあるのだろう。

何も考えたくない時は、作業の隙間時間で漫画を読む。
頭を使わないで読める作品が好き。
私が日常系作品の、特に何も事件が起きないような作品を好むのはこういった理由だ。

感情が大きく揺さぶられない。
ほどよい楽しさ、癒し。
ぬるま湯のような心地よさがある。

この手のぬるま湯作品にただ一つ求めるのは「不快でない事
そこさえクリアすれば何でもいいのだ。
「面白い」と「刺激」は紙一重だし、「刺激」が「不快」に繋がる時は結構ある。

この「不快」というのは、例えば主人公に数々と襲いかかってくる困難とかも含まれる。
これ自体は主人公が成長するため、または話の展開のために必要な事だが、疲れているとそれすら読む側の負担になる事がある。
だからこそ話の展開が求められていない日常作品がいいのだ。

もちろん熱湯のような作品を求めている時もある。
全ては気分次第だ。

世の中単純な「面白い」作品が求められがちだが、特段面白くなくても存在価値というのは様々あるものである。多様性。
それなのに、どうして評価の軸ってたった一つしかないんだろうな。
いいねボタン、お前の事だぞ。

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