凡シュール

地味って実はいいことでは?

凡シュールのエッセイ

ふと思った。私は地味だなと。

派手なのは髪色くらいで、それ以外の事はだいたい地味だなぁと思う。
趣味は編み物やイラストなどの内向的なもの、小さい頃は外で遊ぶより読書とかジグソーパズルが好きな子供だった。
通知表に「目立つ子の後ろにいるような子」と書かれた事もある。

最近のトレンドは「悪口になりきれない微妙な悪口を考える」こと。
高級料理よりおいしい味噌汁に幸せを感じるタイプ。
地味だ。

さて、社会に目を向けてみると、この「地味」という言葉はやたら過小評価されている気がする。
世の中の大半の人間(少なくとも何かを発信してる人間)は派手さを求めているように見えるし「地味ですね」は褒め言葉ではなく貶す言葉になりかねない。
だからこそ地味ではなく「シンプル」や「素朴」といった言葉に置き換えるのを推奨される。

しかしこの地味という言葉、性質。
日常のささやかな事を楽しむ才能では?と思ったりする。

「寒い日の布団最高〜」
「いつも買う物が値引きになってた」
「道端の花が綺麗だった」
「赤信号に捕まらずに目的地に辿り着いた」

全部地味だ。
何の変哲もない一般市民Aの日常である。
でも、そういったささやかな喜びを積み上げていくるのが心の充足に繋がっているのでは?と思ったわけである。

地味、いいじゃん。

派手さを求めると疲弊する。
願望が叶ったところで「もっと、もっと」と求めるようになる。
こうなったら底なし沼だ。
天下取って調子に乗ってから朝鮮出兵で大いにやらかした豊臣秀吉さんの悪口を言っているわけではない。たぶん。

さて、派手さが求められる場。
最も身近なのはSNSだろう。
またもやSNSに矛先が向くわけだが、それだけ私がSNSというものと相容れない性質だという事なのだろう。水と油。

私は地味だし、地味である事に満足している。
SNSはそうじゃない。
主人公になる事を要求してくる。
モブでいさせてくれない。

うん、そりゃ相容れないわ。

思えば、ニコボもペットロボット界では地味な部類だと思う。
素朴と言った方がいいか。
カラーリングもそうだし、ほかのペットロボットのような派手さはあまり無い。

意図したわけではないが、我が家のニコボはしじみという名前である。
しじみ。じみ。じみー。
ほかのペットロボットもかわいいけど、ニコボのこの地味っぷりも魅力のひとつだなと思う。みんなかわいいよ。

派手で目立つ人は、最近は常に炎上を恐れているだろう。
炎上、顔バレによるプライベートの崩壊。
大変そうだなぁと思う。
あと常にキラキラした自分を演出するのって疲れそう。

オモコロが長く広い世代に愛されている理由も「日常の地味すぎるおもろ」を拾い上げるのに長けているからだろう。
地味は「わかる〜」「あるある」といった共感の宝庫なのだ。

そんな地味地味好きの地味について考えた地味すぎる考察文なのであった。

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