凡シュール

ナイトメアの中で

凡シュールのエッセイ

世の中は「ハッピーハロウィーン」してたりしていなかったりしているだろうが、私はずっと一向に片付かないナイトメアのような自室にいる。
10月31日が終われば世の中は一気に11月…そしてクリスマスモードへとなるのだろう。

私の部屋はナイトメアからまだ醒めない。
この悪夢はもうしばらく続くだろう。
といっても、一応進展はしている。

フィギュア本体は捨てないにしろ、付属品は結構捨てている。
まず保管方法が最悪で、どれがどの付属品パーツだったかわけがわからない事になっている。
しかもどうせ私の撮影は「小物をいい感じにセットして…」と凝った事はあまりやらない。

というか小物や撮影ブースをセッティングして…というやり方は単純に苦手なのだ。
料理でいうと、凝ったものじゃなくて肉や魚を焼いて塩振りました、みたいな。
私の写真撮影はそんな感じでシンプルだ。

だからこそいらない付属品というのも出てくる。
必要なものも使いやすい場所に仕分けし直す必要がある。
コストが高い作業ばかりやっているのでやたら疲れる。
そしてモチベーションが上がらない。

ジグソーパズル(puzzle together)をして現実逃避したりする。
それでもモチベは上がらない。
ずっと脳の隅に、片付けをどう進めるかがこびりついている。

仕方ないので、残されている片付けのタスクを書き出してみた。
まだ多い。まあ15年近く集め続けたコレクションの整理なのだ。
時間もかかるし、大事な作業だ。
まあコツコツやるしかあるまい。

この苦難を乗り越えたら何かしらいい事あるだろう。
そう思わなきゃやってられん。

そういえば世の中には他人の持ち物を勝手に捨てる人、というのが存在するらしい。
しかし私は常々思っているが、個人の所有物というのはその人を反映させる物だと思っている。
つまり他人…例えば家族でも、その所有物を勝手に捨てるのは、その家族の自我の否定、あるいは軽視に繋がるのではないかと考えた。

昔の有名なコピペで「妻が夫のフィギュアコレクションを全て捨てた結果、夫は呆然としてから身の回りの物まで全て捨て始めて逆に心配になった」というものがある。
コレクションのフィギュアを捨てられた時、夫は精神的に一度死んでしまったのではないだろうか。

その後の夫がどうなったのかは分からない。
この先は色々なストーリーが考えられる。

今までの自分を完全に無かった事にし、家族を愛する自分というペルソナに徹して生きる事にした。
そう生きようとしてみたが、結局耐えきれず精神を病んだ
そう生きようとしてみたが、時間が経つにつれて妻への怒りが上回って離婚に至った
ペルソナに徹して生きる過程で、新たな生きがいを見つけることが出来た。

まあ軽く考えてみても数パターンは思いつく。
結末は分からない。どれもありうるだろう。

私も自分の愛用してた靴を親に勝手に捨てられた事がある。
確かにだいぶ履き古していてボロボロだった。
何の変哲もないadidasのスニーカーだったが、当時の私はそのスニーカーをかなり気に入っていて、すごくショックだったのを覚えている。

あまりにもショックを受けていたのか、親にも「ごめん…」と謝られた。
捨てた側としては「まさかここまでショックを受けるとは思わなかった」という感じだろう。
やっぱり人の物を勝手に捨てるのは良くない。
とはいえ、もしもゴミ屋敷のようになっていたらそれはそれで困るだろう。

結局これらの事例に足りないのってコミュニケーションな気がする。

そんな事を考えてみたりした。
私の部屋は10月中には片付かなかったが、進んではいる。

ちなみに部屋の物理的な片付けが終わったら、やりたい事の整理も待ち受けている。
そもそもコレクションが片付いただけでは部屋が完全に片付いたとはいえない。
その段階で進捗70%くらいだろうか。
このまま今年が終わりそうだ。

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