毎日何かしらの文章を書き始めて300日近く経った。
具体的な日数は忘れてしまったが、1年間毎日更新という実績もだいぶ近づいてきた感じである。
今では日々の歯ブラシ感覚で何らかの文章をしたためている。
もはや義務とかではない。日常の一部だ。
やる事が当たり前の領域。
めんどくさいけど、まあやるか…みたいな感覚。
ところでnoteなどを見ると「毎日更新に挑戦したものの1つの記事のクオリティが低くなり結局挫折した」みたいな話をよく見る。
確かに私のこの毎日書いているエッセイも、気合いの入った文章のものもあれば、本当に出涸らしみたいな文章もある。
いや…毎日面白いものが書けるわけないだろ。
名作と言われる長編小説だって、物語の一節一節が全て100%面白い!という作品は一つとしてないだろう。
導入の節があったり閑話休題の節があったり。
クライマックスの100%の面白さに向けての下準備みたいな節があったり。
そういうものである。
むしろ、常に100%のテンションで書かれた小説などあったりしたら、おそらく単調で面白くないだろう。
つまり、毎日書く文章の一本一本は人生という長編小説の一節に過ぎない。
そう考えると、面白い文章だけでなくクソみたいな文章でも許容出来る…どころか、それが当たり前だなという感覚になる。
毎日書く記事は、私という人間の一つの側面に過ぎない。
人生を紡ぐ一節に過ぎない。
ところがnoteやSNSは、その一つ一つの記事に「スキ」や「いいね」という評価点をつける。
だからみんな良い評価が欲しくて、毎日100点の記事を無理矢理書こうとする。
疲れてやめるか、本人ですら何を書いているか分からないような単調な記事ばかりになる。
もしくは楽に量産出来るAI産の記事が生まれる。
「スキ」や「いいね」って本当に欠陥構造だな。
それならGoogleアナリティクスでも眺めていた方がよっぽどいい。
継続して読まれているかがよく分かるからである。
サイトの滞在時間も大体だが分かるので、どのくらい熱心に読まれているかもなんとなく分かる。
こちらの方が真のエンゲージメントが分析出来るわけだ。
「スキ」で一喜一憂するよりよっぽど建設的である。
私自身、適当に読まれて200いいね貰うよりは、1人の読者にじっくり読んでもらった方が嬉しいという考え方で生きている。
定量より定性。
人と人の交流って、本来そういう温かいものだったと思う。
だんだん何を言いたいか分からなくなってきた。
今日はこのくらいにしておこう。
