凡シュール

技術の盆栽

凡シュールのエッセイ

Blenderの初心者本を一通り終わらせた。
ここからが本番である。
さて、基礎を終えて自分の作りたいものを作れるようになるためにはどうすればいいのか。

ここでレパートリーを増やすために別のhowtoを見るのは…罠だ。
情報の過剰摂取になるだけ。経験で分かる。
技術の知識は増えるが、増えただけでは使いこなせない

となると、初心者本の復習が良さそうだ。
復習といってもただ本の内容を繰り返すだけではない。
「本で取り扱っていた作例と同じ技術で作れそうな物を考え、それを作ってみる」

これが地味に難しい。一番頭を使う
いつも思うが、数多の初心者向け講師たちはここの導線をもっと整えるべきだと思う。
その基礎技術で何が出来るのかのバリエーションをもっとちゃんと教えてほしいものだ。

基礎本で丁寧に技術解説しつつ「この技術を使って身の回りの色々な物を再現してみましょう!」と丸投げする。
それをどうやるかを丁寧に解説してくれる教材が圧倒的に少ない。
自分で考えなければならない。

大事に大事に育ててきた赤子を突然崖から突き落として「自分で這い上れ」と言っているようなものだ。
ここで這い上がる根性が無い奴は創作する資格が無い
それを素で言ってきたのが昨今の創作界隈だ。

努力してなんとか掴み取った人か、大らかでそういう事は気にしない人しか生き残れない構造。

ずっと疑問だった。
創作は素晴らしいものではあるが、決して高尚なものではない
それを高尚なように見せてきたのは一体誰だ。
数多の人間の感性をポッキリ折ってきたのは誰だ。

文章にしてみて改めて思ったが、本気でこの風潮には腹が立っているらしい。
とはいえ、自分自身がこんな事を気にしないもっと大らかな人間になりたかったなとも思う。

私は私で手順というものに縛られすぎなのかもしれない。
自己流でちゃんと作り上げても「本当にこれでいいの?」「もっと効率良いやり方があるでしょ」とモヤモヤする。
物が出来上がった時に「やったー!」よりも「うーん…」が勝る。
で、調べようとする。どう調べればいいかもわからない。萎える。

ずっとその繰り返しをしてきた。

私自身、正解至上主義の深みにハマっているのかもしれない。
学校教育で、地図をくれるどころか「その道は間違ってるでしょ!間違い!この道だけが合ってる!」と逐一道案内された結果、その考え方が奥深くまで刷り込まれてしまったのかもしれない。

創作に正解なんて無いはずなのに。
完璧主義を捨てる」とはこういう事なのだろうか。
いや、しかし「完璧でない事に楽しさを見出せていない」という自分の感情も本物だ。
「細かい事を気にしない」というのは、それを歪めてしまう事にならないか?

分からない。深みに嵌る。

いや、プログラムのバージョン管理の考え方を取り入れればいいのか?
そしてそれをNotionのDBで管理していく。
一つのモチーフを最初から完璧に作る事を目指すのではなく、はたまたゆるく適当に作るのではなく、成長させていく

新しい技術を習得するたびにバージョンアップさせていくのだ。
育てるという意識が大事なのかもしれない。
これなら向いているかも。
盆栽感覚で出来そうだ。

この考えが光明となりうるか?
やってみるしかなさそうだ。

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