凡シュール

土台の最終工程

凡シュールのエッセイ

昨日悩みを書いてはみたけど、解決策も見出してるし停滞しているわけじゃないと思う。
要するにこれが最後の土台なはずだ。

というかこのサイトに関する悩みなので、既に創作へと思考が及んでいるという事になる。
自分の土台を整え終わり、創作の自己流の手法も導き出し、それをアウトプットする場(このサイト)を整えるだけ、とも言える。

その段階でまた昔の文章に目を通しているのだが、今年の最初の方の記事を読んでも「まだまだ未熟だな」と思うようになっていた。
それだけ成長を続けている…という事なのかもしれない。
まあ300日以上毎日何かしらの文章を書いているわけだし。

とはいえ、最近の文章も未来の自分から見たら未熟に思える…そんな時が来るのかもしれない。

しかしここ数年の自分を振り返ってみても、結構色々と酷い目にあっている。
それでも自分を曲げずにここまで来たのは偉いなぁと思う。
自分を曲げなかったし、じゃあそれでどうやって世の中と接続するのかもひたすら考え続けていた。どこにも逃げなかった

というかあらゆるものに裏切られ続けてきたから、自分しか信じられるものが無かったのかもしれない。
自分以外を何一つ信じられなくなったからこそ、自分を信じるしかなかった。

友人などの人間関係はきっかけ一つで即関係が終了する事を学んだ。
コンテンツも、公式とそれを取り巻く経済次第ですぐに変容してしまうことを学んだ。
変わらないと思っていた風景もどんどん変わる。
こんな何もかもが不確かで信じられない世界。

自分すら信じられなくなったら、本当に終わってしまっていただろう。

特に今年、2025年は徹底的に自分と向き合ってきたんだと思う。
自分の厄介な感性と向き合った。
おそらく今後振り返ってみても、ターニングポイントとなる年だったような気がする。

ただ、これは「自分が世の中から孤立していたからこそ」徹底的に自分と対話出来たとも言える。
外部の接続を断ち、深く深く潜り続けていた。
世間は自分が参加するものではなく、観察対象に過ぎなかった。
現実で様々なしがらみに悶えていたら、まず出来なかった所業だろう。

さて、土台作りもあとひと踏ん張りだ。
今日も頑張ろう。

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