2022年1月30日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
結局私は葬式の日限定で黒染めする事になる。
だがその前に親にブチギレる。最初で最後の明確な反抗。
この時から親に髪色についての小言は言われなくなった。
そういえば実家に帰るたびにTシャツなどのラフな姿を「中学生みたい」などと散々言われてきたが、この頃からそれもほぼ言われなくなったように思う。
というか実家に行くのにわざわざオシャレとかしないだろ、普通。近所だし。
祖母が亡くなったらしい。 といっても107歳というびっくりするほどの御長寿で、特に病気してるという話も聞かなかったから、大往生だと思う。 というか100歳なったくらいだと思ってたら107歳と聞いて驚いた。
祖母とはもう何年も会っていなかった。 そもそも私は親戚とは関わりが浅い。 昔は毎年新年会をやっていたのでよく連れられて行ったが、最近はそんなものも無かった。 いまだに親戚と会っても敬語を使うか考える、そのくらいの関係だ。 祖母との記憶も、小学生の頃母と私と祖母で熱海に行き、急な階段を降りる時のあまりの健脚っぷりに驚いたとか、そんなエピソードがあるくらいだ。
まあ何にせよ祖母は亡くなってしまった。 だが関係が浅かったので、知っている有名人が亡くなったとかそんな感覚である。 悲しいは悲しいけど塞ぎこむほどではない。
葬儀は来週らしい。 もともと「祖母はもうそろそろかもしれない」と言われていたので、実家に帰ると葬式の話もちらほら話題に出ていた。 オレンジ髪の私は「その頭で葬式に来るな」と言われたりもした。 染めて1年くらい経つのに、実家に帰る度に母親には毎度髪色で文句を言われる。
オレンジ髪。 30歳にして私が手に入れた揺るぎないアイデンティティーだ。 たかが髪の色だと思うかもしれない。 別にドンキで1日黒染めの染料を買ってやり過ごせばいいじゃないかと。 1日やり過ごせばまた元通りなのだから。 TPO。世渡り。
しかしその場しのぎの黒染めでも、表現者としての私を、揺るぎない個性を否定されている気がする。
話が飛ぶが、母親との買い物は昔から嫌だった。 私が何か選んでも「これは派手すぎじゃない?」とよく言われた。 結局自分の好みを口にしなくなった。 「もう何でもいいよ…」となるのだ。 だって自分の感覚を否定されるのは辛いもの。
自分のオレンジ髪は気に入っている。 揺るぎない個性の一つだと思っている。 自分でいいなと思って自分で選んだのだから。 それを全く受け入れてくれない両親。 私は両親の何なんだろう。 ここまで考えてとても悲しくなった。
結局私は葬儀前日に黒染めするのだろう。 私が我慢して丸く収まるならそれでいいじゃないか。 せっかく手に入れた自分の個性も、結局は世の中の慣習の前にはひれ伏すしかないのだ。
表現者として死んでいるのではないか。
ぼちぼちコミティアの準備もしなきゃなのに、クリエイティブな事を一切やる気にならない。 そもそもコミティアが無事開催されるかもわからない。
これが大厄か。
