2022年1月1日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
正月エピソード。
新年あけましておめでとうございます。 といってもタイトルどおり、新年感があまりない。 年末はTVを一度もつけなかったし、身内で通話しながらSteam版ドミニオンをやってたら年越してた。
毎年おせちは食べないし初詣にも行かない。 実家にいた頃からそうだった。 学生時代、初詣は2日とかに友達と行ってたりもしたけれど。 最近は1月半ばくらいに誰もいない神社をふらっと参拝するくらいだ。
子供の頃の正月の定番といえば、父方の親族全員集まって都内で会食することだった。毎年やってた。 東京駅近くの中華料理屋に行ったのは小学生くらいだったが、今でもなんとなく覚えている。
北京ダックを食べたのは、後にも先にもあの時だけだ。本物だったかはわからないがおいしかった。 今は亡きじいちゃんにワインを差し出されたのもこの時だった気がする。 クソ真面目な小学生時代の私は、たしか断ったが。
お年玉はそんなに貰えなかった。 そもそも父方の親戚から貰った覚えがない。 両親は31歳の娘の親にしてはかなり高齢なので、戦後10年ちょいくらいの時代の生まれだ。 父は5人兄弟の末っ子。当然いとこは多い。 いとこ達とは10才くらい離れていて、あまり話した事はない。 普通年の離れた小さな孫なら特別可愛がられて甘やかされそうなものだが、お年玉を貰った記憶は無いのだ。
母方の実家は山口県なのでごく稀に行ったが、ちゃんと貰えた。多い額ではなかったが。 新幹線でもかなり遠かった記憶がある。記憶もない昔には、今はなき個室をとって乗った事もあるらしい。
母方の実家は古き良き日本家屋の一軒家で、縁側のある家だった。 私が小学生の頃はまだボットン便所だった。 誤ってボットン便所にスリッパを落としてしまったこともある。
マンション育ちの私は一軒家の時点で物珍しかったし、この母方の実家が好きだった。 母方の祖父母はどちらも亡くなっているので、もう行く機会も無いが。 一応叔父一家が住んでいるが、わざわざ訪問するほど親しいわけじゃない。 特段仲が悪いわけでもいいわけでもない。 親族に対しては多分今でも敬語を使うだろう、そんな関係。
とんとご無沙汰してた母方の実家は10年ほど前に祖父の法事で訪れたが、その時はさすがにボットン便所じゃなくなっていた。 今はもっと新しく綺麗になっていそうだ。 もうあの古き一軒家に行く機会はないのだと思うと、少しだけ寂しい。
前述のとおり、いとこ達とはだいぶ歳が離れているので、特段親しくはない。 親戚一同集まる時でも、引っ込み思案な私は母にくっついて離れなかった。 その結果、母や叔母の会話をよく聞いていたような気がする。
ちょうど、いとこといとこの子供達の中間の年齢なので、本当に孤立している。 兄弟もいない。 小さい子が苦手…というかどう接したらいいのかわからない理由の一つだと思う。
親戚の話から話題を変えてみる。 大晦日明けてからは、毎年夜更かししている。 中学生くらいの頃から「大晦日から正月にかけてはオールするぞー!」という意気込みでずっと起きていた。 初詣に行くわけではなく、家でTVを見るだけだったが。 ミスタービーン劇場版を見てゲラゲラ笑ってた年もあった。 その名残か、今でも大晦日は朝まで起きているのが当たり前の感覚だ。 初日の出を見に行くわけでもないのに。 特別な夜を早く終わらせたくないのかもしれない。
通話などしてて夜も更けてくると「そろそろ寝ます〜」とみんな落ちていく。 「あれ、もうみんな寝ちゃうんだ」となる。 どうやら年明け 徹夜の慣習はあまり一般的ではないようだ。
今年だが、3時の時点で3〜4回ネット回線が切断された。ぶっちぶちである。 仕方ないのでゲームも通話もやめた。 眠くないので読書した。 11月の文フリで買った、まだ読みきれてない本を続々と読んでいる。どれも面白い。
最近あまり読書出来ていなかったので、かえってちょうどいいのかもしれない。 アクシデントもポジティブに変換する能力、人生でとても大事かもしれない。 この精神があれば厄年も難なく乗り切れるはずだ。 そう、今年は本厄である。 無事に来年の正月を迎えられるといいなぁ…願いはそれのみだ。
今年もよろしくお願いします。
