2021年9月8日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
今なら私はこの普通ではないユニークを感性と言い換える事が出来る。
感性、その人のコア。
私は他人から見ると、どうやら少し変わっているらしい。 あまりそんな気はしない。 好みは平凡だし、noteの文章なんかも普通だと思う。 自分ではそう思っている。
知り合いを見て「この人変わってるな」と思う場面はあるが、本人からしたら「自分は変わってるな」と自覚はしていないと思う。 本人の中では至って普通と思っているだろう。
自分では普通の事なのに、他人に指摘されて「あ、これって変わってるんだ」と思う事は結構ある。 私の場合は、散歩で5km以上余裕で歩くとか、ぬいぐるみやフィギュアをバカみたいな量持ってるとか、異常なほどのコンプ癖がある、とかかな。
1番分かりやすいのは家庭環境かもしれない。 私はひとりっ子だが、ごく普通の家庭に生まれたと思って子供時代を過ごしてきた。 だが大人になってから客観視すると「あれは少し特殊だったんだな」と思う事がそこそこあった。
高校の頃からご飯は家族バラバラに食べていたし、そもそも生まれた時から父と母は別々の部屋で暮らしていた。 父は自室に引きこもりがちだった。 少なくとも小学生になったあたりから、リビングで家族団欒をした経験はほとんどない。
小さな頃は家に大量のぬいぐるみやおもちゃがあった。 祖父母とは疎遠な方だったと思う。 父方の親戚で集まる新年会の時に会うくらいだった。 母方の方は実家が遠いのもあって、数年に1度レベルでしか会っていなかった。
そもそも普通って何なんだろうか。 人間誰しもちょっと変わったところを持っていると思うし、それが個性なんだと思う。 本人が「私は普通な人間だよ」と思っていても、他人から見たら変わった癖や習慣、経歴を持っていたりする。
私は主にインターネットで色々な人間に出会ってきた。 最初から変人丸出しの人もいたけど、最初普通だと思っていても、仲良くなっていくにつれ「こいつ結構変なとこあるな」と思った事も多々ある。
出会った当初はまだベールに包まれている。普通の人の皮を被っている。 仲良くなっていくにつれ、だんだんとベールが剥がれてくる。素が出てくる。 その過程が楽しいから色々な人と接したい。 色々な人の色々な個性を覗いてみたい。 その気持ちが私のコミュニケーションの根幹にあるんだと思う。
結局何が言いたいかっていうと、人は誰しも変わってる部分を持っているものなんだし、それが魅力だったりするんだし、まあみんな好きにやればいいよという話だ。
変とか変じゃないとか、普通とか普通じゃないとかどうでもいい事じゃないか。 そしてここだけの話「自分は変ですよ!!!」とめちゃくちゃ変人アピールしてくる人は承認欲求がめちゃくちゃ高いそれなので苦手だったりする。

