2021年5月20日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
偶像崇拝に対する疑問の芽生えといったところか。
昨日と似たような話なのだが、星野源と新垣結衣がめでたく結婚ということで、Twitterでも話題になっている。
「ガッキーが結婚しちゃうなんて…ショック…」みたいな感じになってる人が多いわけだ。
で、「俺もガッキーと結婚したい」なんて言ってる男子諸君もたくさんいるわけである。
私が男でも多分そう思う。
いわば”みんなのアイドル”や”クラスのマドンナ”的存在である。
Twitterのトレンドで目にしたのだが、星野源はかつて共演した新垣結衣に対して、自身のエッセイで「本当に素敵で、普通の女の子」という記述をしていたようだ。
(星野源のエッセイはそのうち読みたいと思いつつもいまだ読んでない)
クラスのマドンナを”普通の女の子”と表現しているわけだ。
大多数の人間がガッキーという存在に対して「マドンナ!かわいい!」と偶像的崇拝をしているのに対して、きちんと1人の人間として向き合っているという事が伝わる。
結局、マドンナの心を射止めるのはおべんちゃらや崇拝の言葉などではなく、1人の人間としてきちんと向き合ってくれる人なんだと思う。
外見や立場などに左右されず、その人自身ときちんと向き合える人だ。
そりゃ星野源モテるよ。
逆に言うと、ちやほやしてるだけの連中は永遠に振り向いてもらえないとも言える。ただのファン以上でも以下でもない。
まぁ、そもそも普通の側面が見れるくらい近い存在な時点でめっちゃ強いんだけど。
Twitterとかでいまだに「ショック…」とか言ってる奴。
まぁ今回のガッキーの件に限った事じゃないけど。
声優とかアイドルとかが結婚する度になんかショック受けてたり、相手に嫉妬する人見るけど。
「そのままじゃお前永遠にモテないだろうな」とか思ったりする。
ショック受けるのは自由だけど、それを公共の場(Twitterだって公共の場だ)でいつまでもグチグチ言ってるメンタリティが気持ち悪いというか。
ネタだとしても純粋におもんないです。
あ、ハイパー毒舌かましちゃった。
てか単純に人の幸せ素直に祝えない奴って性格終わってるしなぁ、とか何とか。
恋愛に限った話じゃないんだけど。
カリスマ性があってみんなに崇拝される人っていうのは、世にたくさんいる。芸能人やスポーツ選手もそうだし、身近にもいたりする。
そういう人には必ずファンが存在する。
その人の全てを肯定・崇拝するようなファンもいる。
しかし、そういうカリスマな人たちが真に心を開くのは、自分を神格化してくるような熱狂的ファンではない。
1人の人間として普通に接してくれる人なんだと思う。
周り全員が「天才だ」と褒めそやした結果、誰にも心を開く事が出来ずに孤高の天才になってしまう人もいるんだろうな。
どんなに凄い人間だろうが偉人だろうが、同じ人間である。
みんな母親から産まれたし、何も出来ない赤ちゃんだった時代もあるし、人並みの幸せは求めてるし、ひどい事言われたら傷つく。
アイドルだってうんこする。
そしていつか必ず死ぬ。どんなに偉大な人でも、そこはみな同じだ。
才能に秀でてはいるけど、それ以外は普通の人間なんですよ。
忘れちゃいけない事だと思う。
逆に言えば、ちょっと怖いと思う人たち…。
例えば見た目イカついヤンキーのにいちゃんとか、気難しくて怖いおじさん、クレーマー高齢者…。
この人たちだって同じ人間である。
イカつい見た目のにいちゃんはぱっと見恐ろしいが、話してみると案外普通に気さくだったりする。
気難しいおじさんが上司だとして、仕事中めちゃくちゃ怖かったとしても、家では娘との接し方に悩む普通のお父さんかもしれない。
クレーマー高齢者はムカつく存在だが、ずっと孤独で寂しいだけなのかもしれない。実は話し相手が欲しいだけなのかもしれない。
アプローチは間違ってるけど、そう考えると人間らしいなと。
同情出来る部分はあるにせよムカつく事に変わりはないけどね。
人間観察(悪趣味だなぁ)が趣味の人間として、あらゆる人を一人の人間として見つめようと心がけるようにしている。
その中で尊敬出来る人は尊敬するし(もちろん神格化はしない)、こいつは嫌いだなと思う人だっている。
みんなただの人間なんですよ。
どんなに怖い人でも、天才だと思う人でも、同じ人間。
実は人間らしい悩みもたくさん持ってるんだろうなと想像すると、ちょっと楽しい。
