凡シュール

各々の正義

凡シュールのエッセイ

2021年3月22日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

これも本質記事。この頃から視点鋭いよなぁ。

世の中のフィクション作品には勧善懲悪ものが溢れている。 いや、ノンフィクションでも主人公の敵は”悪役”として描かれがちだ。

主人公にとっては敵。悪役。 では敵は敵でしかないのか?

逆に敵から見たら主人公サイドは悪だ。 主人公から見た敵とは、主人公の利益を侵害する存在、邪魔をしてくる存在。 では敵の行動の目的は?本当に主人公に対する嫌がらせとしての存在でしかないのか? いや違う。敵は敵の目的がある。正義がある。

主人公も敵もそれぞれの正義、信条がある。 言い分は食い違う。だから争いが起きる。

どちらが正しいか間違っているかの問題じゃない。 どちらも自分の言い分が正しいと思い込んでいる。 いや、実際それぞれにとって正しいのだ。正義と正義のぶつかり合いだ。 お互いが正しいと思っているのに、果たして話し合いで解決するだろうか?

否。話し合いは平行線。不毛な議論になるだけだ。

人の数だけ主義・信条がある。 その中には相容れるものもあるが、相容れないものもある。 どうしても譲れないものだってある。 人々が個々の考え、信条を持ち続ける限り、平和などというものは存在しない。

進撃の巨人を見ながらそんな事を考えた。 この作品はマーレ編になってからこれまでの真実が明かされ、本題に入る。 主人公エレン側から見たらライナー達は悪役でしかなかったが、後々ライナー達はライナー達の事情、信条がある事が判明する。

そう。誰かが正しいとか間違っているとか、正義とか悪役とかじゃないのだ。 それぞれがそれぞれの正しさを抱えて戦う。だから戦いは簡単に終わらない。 これは国家間戦争のような大規模な話から、個人的な諍いのようなミクロな話まで言える。

世界は複雑だ。

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