凡シュール

私の耳にかかれば言葉もただの音の塊

凡シュールのエッセイ

2021年3月17日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

私はおそらく音声情報を情報として処理するのではなく、まず感じるタイプなんだと思う。

というか基本的に情報処理の瞬発力が無い。だからこそ一見飲み込みが悪いように見える。

が、きちんと資料を見て情報処理が完了した後の飲み込みはとても早いし、その後ミスすることもほぼ無い。

結局処理方法の違いなのだろう。どちらが優れてるとか劣ってるって問題ではない。

昔から一度の説明だけじゃ理解する事が出来ない。 仕事でもそうだし、授業というものも苦手だったし、なんならボドゲのルールをインストールするのも苦手だ。

どんなに分かりやすい説明でも、口だけで説明されると絶対頭に入ってこないのだ。 みんなが「あー大体わかったわ」みたいな時でも「え、今のでわかったの?全然わからんわ!」となる。 授業だったら目の前の教科書やプリントを読み込んでようやく意味が分かるし、ボドゲでも説明書を読み込んでようやく理解する。 いや、理解出来ない時も多々ある。そういう時は実際やってみてようやく理解する。

思えば音楽を聴く時も、歌詞より先に音やリズムが入ってくるタイプだ。 よくライブで初お披露目の曲などで「歌詞めちゃくちゃいいじゃん」みたいな感想があったりする。 だが一度聞いただけでは歌詞が全く入ってこないのだ。 「え、そんな歌詞だったっけ?全然気にしてなかった。音はかっこよかった」となってしまうのだ。 歌詞を見ながら何度も聴いてようやく「こんな事歌ってたんだぁ〜」と入ってくる。

おそらく耳から入る情報は、意味などそっちのけでまず純粋な音として処理されてるんだと思う。 説明を一発で理解出来ないのは不便だ。だがいいこともある。 人の声色のわずかな違いで「今日はご機嫌だな」とか「最近疲れてんな」とか見通しやすい、と自分では思っている。 言葉の裏側も読み取りやすいし、歌でも歌詞だけではない音による情動を感じ取りやすいとも思っている。

短所の裏には必ず長所が隠れている。

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