凡シュール

人付き合いの鉄則

凡シュールのエッセイ

2021年3月6日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

この2年後くらいにまた友人との不和・絶交を経験するわけだが。

まあこの事が頭にあったからめちゃくちゃこじれる前に距離を置く事は出来たような、いや、こじれたような。

何にせよ今の私にはあまり関係ない話である。人と関わる事自体無くなったので。

「根はいい人なんだけどな〜…」

人付き合いにおいて、この言葉が頭に浮かぶ時は危険信号だ。

友人関係だと、例えば「待ち合わせはいつも30分以上遅刻する」「深夜こちらの都合お構いなく電話をかけてくる」「借りパクする」など、細かい欠点にイライラさせられた時。ちょっと注意しても聞く耳を持たない時。

「でもあいつ根はいい奴なんだよな…」と自分に言い聞かせ、ぐっと我慢する。

これってよくある話だが、こういう事例ってその場では何も起こらなかったとしても、結局どこかで爆発する気がする。

こちら側が我慢の限界で突然ブチ切れるかもしれないし、逆に相手側がいきなり理不尽に逆ギレしてくる場合もある。

そうなるともう悲惨である。

爆発するという事は、結局はその人と自分は根本的に合わなかったという事である。

合う話題もたくさんあって話してても楽しい友人の場合、失うのは惜しい。

だが、それで我慢し続けてもダメになる時はダメになる。友人関係なんてそんなもんだ。

逆に、いくら仲の良い友人だからといって、友人の何から何まで完璧に好きという事はめったにないだろう。

人間誰しも必ず欠点を持っている。

「この人には欠点もあるけど、総合的にはやっぱり好きだな〜長い付き合いになるといいな〜」となる人だっている。

誰にでも好かれるというのは無理だし、友達や恋人でも、欠点も全て許容して100%好きになってもらうというのは不可能だ。

それなら結局自分の好きなように生きて、合う人や認めてくれる人と長く付き合っていった方がいい。

合わない人に無理矢理合わせようとするのは、お互い疲れる。

人間関係の判断基準

「たとえ意味がなくても続けられること」リンク

以前書いた記事にあるプラスマイナスの天秤。

この考えは人間関係にも応用出来る。

例えばある友人がいたとして。

でも冒頭のように「根はいい奴なんだけど…」と、今後の関係を考えるきっかけの何かがあったとする。

そんな時、脳内でその人の良い点と悪い点をずらずらと挙げてみる。

例えば…

良い点

・細かい事に気が付く

・話が合う

・付き合いがいい

悪い点

・自分勝手なところがある

・金の管理がダメ

・時間にルーズ

とか?

人によっては話が面白いので大抵の欠点はスルー出来るという人だっているだろうし、逆に、どんなに話が合っても時間にルーズなのは絶対に許せない!それだけでアウト!という人だっている。

基準は人によって違う。

加点要素と減点要素を照らし合わせて、最終的にプラスになるならこれからも友達を続ければいい。

減点要素が上回ってしまうのなら、その友達との付き合いは考え直した方がいいという事になる。

とはいえ、すっぱり縁を切るのは躊躇してしまうだろう。頭で分かっても心では割り切れない時なんてたくさんある。

冒頭の「でも根はいい奴だから…」という言葉がまたぐるぐると浮かぶ。

しかし、先にも述べたように、無理して関係を続けても大抵どちらかが爆発する事が多い。

そのへんも考慮したうえで、「じゃあぼちぼち距離を置きますか…」となるか、はたまた「まあ爆発するまでは突き進むか」の選択をするわけだ。

一つ言えるのは、一人の人間に固執しなくても人間はたくさんいるし、案外代わりだって沢山いるものだ。

一見寂しい事かもしれないが、人間っていうのは替えのきく存在なのだ。

昔は「絶対に嫌だ!」と思う考えだったが、これを認めたらだいぶ楽に生きていけるようになったと思う。

「あなたがいないと生きていけない」というフレーズがあるが、別にそんな事はない。

そりゃものすごく大事な人を失ったらとても辛いかもしれないが、決して生きていけないわけじゃない。人は前を向けるものである。

痛みを抱えながらも、何とか生きていく事は出来るよ。多分。

単に私の人生経験が乏しいだけかもしれないが。

まあマイナスな事ばかり書いてしまったが、それでも…というかだからこそ、今後も仲良くしていきたい人の貴重さ、大切さがよくわかる。

そういう人は大事にしていきたい。

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