凡シュール

校長先生の話がつまらない理由

凡シュールのエッセイ

2021年2月13日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

我ながら面白い着眼点だなと思う。

YouTubeの動画のカット編集もこれだよなぁと。

セリフの合間の「えー」の部分とか細かくカットされてテンポ良い状態を仕立てている。

学生時代の朝礼の時間。

校長先生の話というのはとにかく眠くてつまらない時間だった。

小学校も中学も高校も、共通して校長先生の話は面白くなかった。

なんなら”校長先生の話はつまらない”というのは、かつて学校に通っていた人間の共通認識だろう。もちろん例外もあるだろうが。

では、なぜ校長先生の話はつまらないのだろうか?

まずよく挙げられるのは、”話が長い”点だ。

話に纏まりがない。結論も先延ばし。

あと朝会の校長先生の話の内容は、自分の体験から教訓に繋がる話が多い。

いわゆる”おっさんの世間話”を一方的に聞かされてるわけだ。

こんなの面白いわけがない。学生にとっては尚更つまらないものだろう。

話の纏まりの無さももちろんあるのだが、それ以上に大きな要因として挙げられるものがあるはずだ。

それは抑揚とリズム。つまり話し方だ。

校長先生の話に限らず、政治家の演説、社長のスピーチ、仕事のプレゼン、授業…。

何だか内容が頭に入ってこない…。どうしても眠くなってくる…。

こんな場面は結構ある。

これらの場面を思い返してみると、とある共通点がある。

話者の話し方が抑揚のない棒読み、ボソボソした声。なんなら声が小さい人もいる。早口すぎたり滑舌が悪くて聞き取りづらい場合もある。

小学校の頃の校長先生なんか、ボソボソした声に加えて、話の合間合間に「え〜…」を挟んでいた。

話のリズムもクソもあったもんじゃない。

あまりにも退屈すぎて、小学生の私はこの「え〜…」を何回言ったか数えていた事もある。何ともくだらない遊びなのだが、退屈で仕方なかったんだから仕様がない。

仮に話の内容が良くても、話し方が悪いと相手に全く伝わらない。これは良くない。

話し方が下手な人は、みんな損してるなと思う。

では逆に話が上手い人。

この人たちは共通して、話す時に抑揚を上手くつけているし、リズムも聴いてて心地いい。

ちゃんと「話してる相手にどう伝わるか」を意識して実践してる、あるいは無意識にそれが出来る人たちだ。

オンラインサロンをやっているような胡散臭いビジネスマンは、実は話術に長けている。

だからこそ、実は内容が大してないような薄っぺらい言葉が何だかそれっぽい言葉に聞こえてしまうのだ。

勧誘や営業トーク然り。

冷静に考えたら大して欲しくもなかった物を、営業さんに言いくるめられて「あ、これ欲しい!」という気持ちになって買ってしまう…なんて人も多いはずだ。優秀な営業マンの話術にかかればガラクタだって宝物になるわけだ。

まあこれって詐欺にも通ずるのだが。

声優にはトークが面白い人が多いが、もとの声の良さに加えて、話の抑揚のつけ方やリズム感などがきちんとしているからなのだと思う。

”聞かせる話し方”というか。さすが本職声のお仕事。

落語の噺家もそうだ。

このあたりの人たちは話し方を考えるうえで非常に参考になる。

今はあまり聞かれなくなってしまった「よってらっしゃいみてらっしゃい!」という商店の呼び文句。

ってらっしゃいてらっしゃい!」とアクセントがついている。

これをそのまま棒読みで言ったところで、誰も寄ってこないだろう。

このように抑揚やリズムなどの話し方に注意を向けて過ごしてみると、結構面白い。新たな発見もある。

自分が話す際の参考にもなる。

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