凡シュール

こころ・揺さぶり・マグニチュード

凡シュールのエッセイ

2021年2月6日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

今の私が嫌いなタイプの文章である。うける。

まあでもこの時の私はひたすら自己分析していたのだろう。

ラベルを用いてもそれに頼り切りにならずに自分の言葉で表現しようとしている節がある。

こうして出来上がったのが今の捻くれきった私なのだが。

先日の記事で、常に刺激を求めていると書いた。

刺激というのは、言い換えると感動なのかもしれない。

辞書を引くと、感動とは心を揺さぶること。

心が揺さぶられる体験。

最近感動したことって何だろう?

思い出そうと思考を巡らす。

心が揺さぶられた体験…直近で思い出すのは、1月29日に行ったCreepy Nutsのライブだ。ちゃんとnoteに記録している。

このライブレポ書いた時もちらっと思ったのだが、自分の感動したものを書き記すのって結構大事なのかもなと思った。

年明け以降だと朝焼け見に行った話とかもか。

文章に纏めておくとあとから見返す事が出来るし、自分が何に感動したのかというのが可視化出来るのもいい。

ちなみに昨日はちょうどヨルシカの音楽に感銘を受けていたところだ。

聴く純文学。

雨とカプチーノという曲がお気に入りだ。

曲だけでなく、MVの映像もクオリティというかセンスが凄い。

最近流行りのアーティストは、気合い入ったアニメーションをMVにしているのをよく見る。

ボカロ上がりの人は特にそうかな。

昨日、改めてこの歌の歌詞をじっくり読んでみた。

ヨルシカの歌にはよくエルマとエイミーという人物が登場する。

エルマとエイミーはかつて一緒に音楽をやっていた。二人で一つのような存在だった。

しかし何らかの理由で二人はバラバラになった。

雨とカプチーノは、エルマ視点の歌だ。

アルバムの「だから僕は音楽をやめた」と「エルマ」は連動している。

一つのストーリーとして完成している。

歌詞の情緒的な言い回しも相まって、本当に文学作品のようだ。

だからこそ聴いてる側の心を揺さぶってくる。大切な人の別れを経験した事がある人なら尚更だ。

聴ける文学作品としての完成度、曲としての完成度にただただ感動してしまった。

最初ゆったりと始まり、サビのところで一気に雰囲気変わる、ボルテージ最大出力になるところとか。

感動というか、頭をガツンと殴られたような衝撃。

HSP気質だからか何なのか、曲一つで思いっきり心を揺さぶられてしまうのだ。

映画や本でも涙を流すほど感動する時がある。

朝焼けですらも。ある日ふと見上げた空でも。

刹那的な揺さぶり。一瞬の永遠がそこにある。

忘れてしまわないように、いや、たとえ忘れても思い出せるように。

大事に心の中にしまっておきたい。だからnoteに記すのだ。

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