2020年10月14日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
かなりのドライっぷりが出ている文章である。
この感覚は今でも変わっていない。
他人への興味が観察対象でしかなくなってしまった。
5年前より悪化したと言える。
私は会話というものが苦手である。
大人数で他人同士が話してる中、適当にガヤを入れて盛り上げるのは得意だ。 だが、1対1の会話はどうにも苦手だ。
まず話題に困る。 元来他人に興味がない人間なので、むりやり話題を作ろうとして相手の事を聞くのも嘘っぽくてやだなぁとなる。 かといって自分の事を話すのもあまり好きではない。 自分の語りたい欲…即ち承認欲求はnoteやTwitterに書く事で満たされているからだ。 結果、相手が勝手にしゃべるタイプじゃないと沈黙。
他人の自分語りなんて聞いてもたいして面白くないし、そういう時は大抵別の事を考えながら適当に相槌をうっている。 ひどい人間である。
そう、他人の自分語りほどつまらないものはない。 他人に心底興味がないからだ。
いや、どうなんだろう。 noteで他人の自分語りを読むのは好きなんだよな。 自分の好きなタイミングで読めるし、一方的に付き合わされてる感がないからなのかもしれない。 会話だと話題があっちこっち飛んで纏まりがないのもダメなのかな。 相槌などでいちいちリアクション取るのもめんどくさいし。
で、上の話と矛盾するのだが、 「この人はこういう考えを持って行動してるんだな〜」とか「こいつ何も考えてないな〜」みたいな分析的な意味合いで他人の自分語りを聞くのは割と面白いと感じる。 面白いというよりは興味深いといったところか。 「よくこんなに自分の事ばっかり語れるな〜すごいな〜」みたいな感じでもある。
動物園に行って「動物って昼間は寝てばっかりなんだな〜」くらいのテンションだ。
そんなわけで、Discordでの会話は楽でいい。 ビデオがついてるわけでもないので、裏で何してても自由だからだ。 面白くない自分語りが始まったら手元の作業に集中していてもバレない。
ここまで書いて、本当に冷たい人間だなぁと思わなくもないけど、案外そんな人って多い気がする。

