2020年6月30日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
インターネットってすげーなぁって文章。
確かに、いまやインターネットが無かった時代の事を思い出せない。
コロナ渦でよく思うのが、今インターネットが普及していない時代だったらどうなっていただろうということだ。
今までの人類の歴史の中でも流行り病は何度もあったし、記録を見ればよく分かるのだろう。
それはまあいいとして、今の時代はインターネットが普及しているので、緊急事態宣言下でも在宅で仕事出来た人が多かっただろう。そういう人たちは、多少の不便を感じつつもあまり変わらずに仕事出来たのではないだろうか。
ネットで様々な”おうちの楽しみ方”が提唱され、家を出ずともそれなりに楽しく過ごす事が出来た人も多いだろう。
私の母はめっきり外出しなくなったが(ちょっと前までは頻繁に美術館などに出かけていた)、最近はずっと家でNetflixを楽しんでいるようだ。
Amazonなんかも4〜5月あたりは在庫切れの商品は普段より多かったが、注文すればちゃんと届いた。
これは一昔前では考えられなかった事だろう。
私たちは便利な時代に生きている。
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最近Adobeのフォトプランを契約してLightroomを触り始めた。
ヘッダーの画像は、過去の写真をLightroomでレタッチしたものだ。
元の写真は以下のもの。ちょっといじるだけでだいぶ印象が変わる。この写真はもともとMacの画面を背景に撮っていたのもあり、影などのコントラストがどぎつくなっていた。レタッチでそれを緩和した結果、全体的に柔らかい印象の写真になったと思う。
PhotoshopとLightroomを極めればもっとプロみたいな写真も作れるだろう。というか、めちゃくちゃ極めればきっとプロにもなれるだろう。
Adobeのフォトプランは月額1,000円ほどだ。使いこなすには知識が必要だが、その知識もいまやインターネットに溢れている。Youtubeで探せば使い方講座動画なんてのも出てくるのだろう。ネットじゃなくても、初心者向け入門書だっていまやたくさんある。
一昔前だったらデザイナーや写真家しか持っていなかったようなソフトが、いまや一般人でも手の届くところにある。
フォトショに限った事ではない。
Instagramが流行ったあたりから、写真を生業としている人以外でも”写真はただの記録”から”美しい写真を撮りたい”という意識に変化してきているのかなと思う。
そもそもこれだって、ガラケーのカメラだった時代からは考えられないことだ。90年代なんか携帯電話を持っている一般人すら珍しかったというのに。
PCだって、いまや10万円ちょっと出せばそこそこスペックの高いものが組める。一昔前だったらしょぼいノートPCが20万円くらいしたものだ。
こんな事を考えだしたらきりが無くなってしまう。ネットの台頭は人々の生活や意識を大きく変えた。人類史でも産業革命に匹敵するものだろう。ここ数十年の技術の進歩や一般層への普及も目を見張るものだ。
あらゆる技術がネットに溢れ、情報収集能力と立ち回り次第では何者にでもなれる時代。
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思えば、今の私もネットありきな気がする。
家人とはもともとゲームのコミュニティで知り合った。もしコミュニティが無かったらまず出会う事はなかっただろう。
いまや、「インターネット経由で知り合って結婚しました〜」なんてのも珍しい話じゃない。出会い系でなくとも、出会い目的でなくとも、たくさん出会いの場があるというわけだ。
学生時代の同級生とはほぼ関わりが無くなったが、ネット上で知り合った人とはなんだかんだずっと繋がってる人が多い気がする。
若い頃はインターネットを通じて様々な人と出会い、世界の広さを知ったものだ。
現実なら絶対に関わらないような人ともたくさん知り合った。
この経験がなかったら、自分はもっと視野の狭い、面白みのない人間になっていただろうなと思う。
こんな便利なインターネットも、使い方を間違えると大変な事になるんだけど。
使い方や立ち回り次第で、あらゆる可能性が広がる。それが良いものか悪いものかは全て自分次第だ。
インターネットすげー。
この時代すげー。
かがくのちからってすげー。
