2020年4月13日に公開したnote記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。
怒りは今の私の根底にも渦巻いている。
その怒りはこの頃から地続きになっているものもあるし、社会というもの、不条理を押し付けてくるものへの怒り。
やはり怒りだって大事なものなのだ。当時はまだ制御しきれていなかった部分もある。
今はだいぶ受け入れた。怒りがあると受け止めたうえで、どうどうと落ち着かせる事が出来るようになった。
今日は片付けをしていた。決して得意ではない片付けをするタイミング。それはあまりにも散らかった部屋に耐えられなくなった時だ。大抵怒りながらゴミを捨てたり出しっぱなしの物をしまったりしている。
怒りという感情は私を突き動かす。思いっきり文章書けた!みたいな時も、大抵怒りが原動力になってたりする。 今もそうだ。理由のない怒りに突き動かされてこの文章を書いている。眠いような眠れないような、寝たくないような、でも作業とかする気力はもうない。自分の体、何なんだ。みたいな。
私が普段作業しまくる原動力の中にも怒りが含まれている。もちろん怒りだけではないけれど「お前そのままでいいのか」とか「こんなとこで終わるタマじゃないだろ?」とかやっぱそーゆー感情が原動力の一端を担ってるような気がする。
私は昔からロックミュージックをたくさん聴いてきたが、あのジャンルも根底に怒りがある。多分。
何にせよ怒りっていうのはよくよく考えると案外身近に潜んでるもんなんだなと思う。 強い原動力になるから怒りって感情も案外悪くない。でもあんまり怒ってばかりだと良くない気がするから結局バランスなんだろうな。
眠すぎて怪文書になっちゃったけど怒りについての考察はここでおしまい。本でも読みながら寝よう。
