凡シュール

明けない夜はない、と思いたい。

凡シュールのエッセイ

2020年3月11日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

ほんと精神状態どん底すぎてやべーなこの時期…と今の私は思っている。

そう思えるということは今の私はトンネルを抜けたということだ。

そして暗いトンネルを抜けた先というのは、まあ世界がクソなのは変わらないがそれなりに悪くない。

結局この友人とは縁が切れ、私が頼れる人間はいなくなった。

まあ私も迷惑かけすぎだろう。向こうもハチャメチャに迷惑かけてきたからお互い様ではあるが。

今現在の私はこんな100%の感性を他人にぶつけるべきではない、と心から思っている。

誰も頼れないのなら、創作物に昇華してしまえばいいではないか、と。

しかし当時の私は創作に昇華しようとしてもそのやり方すら掴めず、ただ自分の思考のアイデアを拾い上げる事すら出来ず、それを発散する対象すらなく、理解してくれる他人すら周りにいなかった。

とにかく孤立無援だったと言えよう。

私にもそんな時期はあった。

またどん底みたいな気分で過ごしていた。 寝ている方が楽しいので半日くらい寝ていたりした。 20時前に起きて、そうだ、近所の手芸屋にパーツを買いに行こうと外に出た。 人混みに立ちくらみしそうになりながらも手芸屋の入る商業ビルに辿り着いた。 するとシャッターが閉まっている。 例の流行病のおかげで閉店が30分早くなったとの張り紙。

普通なら「どんまい、アンラッキー」で済む些細な問題なのだが、精神的にどん底な私は膝から崩れ落ちそうになってしまった。 その辺の隅っこで膝を抱えてしまいそうになりながらも、フラつきながら家に帰った。 この流行病は私の何もかもを邪魔するつもりらしい。

帰宅した私は怒り狂いながら物に当たり散らした。 誰に向けるともない怒りがこみ上げてきて止められなかった。

同居人はそれを黙って見ていた。 そのまま寝室に寝に行った。いつものことである。 いつからか同居人の事を”同居人”としか表現しなくなったのは、もはやそれ以上でもそれ以下でもない存在だからかもしれない。

怒りは一瞬で引き、また私はいつもの無表情に戻った。

いつもどおり眠れず、一人でただ黙々と編み物を続ける深夜。 突然、友人から「通話しよ」と来た。この友人はいつもマイペースである。 二つ返事でOKをし、通話する事にした。

友人は最近良い事があったのでそれなりに明るかった。対して私の返答はずっと暗かった。 さすがの暗さに心配した友人は「大丈夫?」と一言聞いた。 「大丈夫じゃない」

止まらない愚痴。自分はこの世界に需要がないと思っている事など散々ぶち撒けた。他に聞いてくれる人もいないから止められなかった。涙もボロボロこぼれ落ちた。

ここ何日かこちらから連絡しなかったのは、良い事があった友人に暗い話を聞かせて暗くさせたくなかったからだ。だけどぶち撒けてしまった。 でも友人は熱心に聞いてくれた。私の事を大事な存在、尊敬していると言ってくれた。

思えば他人から”大事な存在”だとまっすぐ言われた事は今まで一度も無かった気がする。私が普段誰にも本音を曝け出さないというのもあるが。

私はずっと誰かからのこの言葉を待っていたのかもしれない。

その後もとりとめのない話をして(私はほぼ聞き役だったが)友人は眠りについた。 また一人に戻ったが、さっきよりは少し穏やかな心持ちだった。 この友人にはいつも支えてもらっていて、感謝してもしきれない。 私があまり支えになれてないのが申し訳ないところだが、とにかくこちらとしては感謝している。 この人には幸せになってほしいと常日頃願っている。

お茶が無くなって、さっきまでどうでもいいと思っていたが、近くのコンビニに買いに行く事にした。 ついでにプリンとかヨーグルトも買った。スナック菓子などを食べない私にとってのおやつだ。 物欲を抑えに抑えて発散出来ない今、こういった物で何とかバランスを取るしかない。

コンビニを出た。 空は朝が近づいていた。

まだ月が出ていた。 少し雲に隠れていたが、満月だった。

今はまだ明るい前向きな気持ちにはなれないが。 明けない夜はない、そう信じたくなった。

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