凡シュール

大人になってからの人格は幼少期の影響が非常に大きい

凡シュールのエッセイ

2020年3月3日にnoteに公開した記事のリバイバルだ。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

自分でドン引きするくらい重い。 それだけ重たい人生を歩んできたという事なのだろう。

そして少しでもこの重りから逃れたくて、軽やかになりたくて当時の私はこの文章を書いていたんだろうなと思う。

それにしても、当時の私は心情の吐露が上手いな。

タイトルそのままだ。当然愉快な話ではない。本当はもっと楽しい記事を書きたいのだが、文章化して向き合いたい事が多々あるので、こんな記事ばかりになってしまうのが悩みである。

私の人格。

頻繁に「自分はこの世界で必要とされていない人間」と考える。常に寂しい。

他人に対してあまり素の感情を出さない。言ってみれば人を頼ったり上手く甘える事が出来ない。

問題が起こると誰にも頼らず一人で処理しがち。

怒鳴り声が怖い。

物に執着しがち。

一つの事に集中しだすと止まらない。

これらはおそらく幼少期の影響が大きい。

頻繁に「自分はこの世界で必要とされていない人間」と考える

私は一人っ子だった。一人っ子ならではの相応の愛情を受けていた、とは思う。

だが、私の家庭は小学校高学年あたりから少し特殊な感じになった。父親は小さな会社の社長だったが会社を畳む事になり、転職した。昼夜問わない仕事だったので、家に帰る時間が不定期になった。

母親はそれまで専業主婦だったが、パートで働くようになった。

私は鍵っ子になった。食卓は家族全員揃う事が稀になった。ほぼ無かったといっていい。

小さい頃家族でドライブするのが好きだったが、知らない間に車は無くなっていた。家族で出かける機会はなくなった。ただ寂しかった。

多分、当時の親は生活を維持するのに必死だったのだと思う。まだ幼い私を養う必要があったし、環境も色々変わっていた。

とにかく私は寂しさを抱えて育ってきた。だから今でもよく「自分は社会に必要ない人間」だと考えてしまう。その度にそんなことないと自分で叫ばなければならない。

他人に対してあまり素の感情を出さない

上記のような微妙な家庭環境もあったが、友達関係にもトラウマがある。小学生の時、友達数人が一緒に帰ろうとしていたので、当たり前のようについて行ったら、面と向かって「あれ、一緒に来るの?」と言われた。

友達からしたら何気ない一言だったのだろう。だが、当時の私は物凄くショックを受けた。トラウマである。

そんな経験があったり、他にも忘れたような小さな出来事があったのだろう、私はいつしか心の底からあまり人を信じられなくなったように思う。

悩みがあっても「メンヘラ扱いされて他の友達同士で陰口を言われるかもしれない」と思い、ろくに人に相談してこなかった。

問題が起こると誰にも頼らず一人で処理しがち

悩みを一人で解決してきたように、何か問題が起こると自分一人の力で大体処理してきた。

これは、小学生の頃の記憶が大きいだろう。

宿題で分からないところがあったので、親に聞いた。でも間髪入れず「そんなのわからない」と返された。一緒に考えようともしてくれなかったのが寂しかった。

また、小学校高学年でノートPCを買い与えられた時の事である。当時のインターネット接続はダイヤルアップだった。時たま上手く繋がらない時があった。そんな時、やはり親に聞いた。「そんなのわからない」と返された。

仕方ないので、小学生ながらプロバイダの契約書とか色んな紙を見ながら何とかした記憶がある。

答えが得られなかった、簡単に解決出来なかった事より、一緒に問題に取り組もうとしてくれなかった事が悲しかった。

ただ、これは悪い事ばかりではない。

この経験から自分の力で調べられる人間になったし、自己解決能力が高いのは便利な事だ。

怒鳴り声がこわい

これはみんなこわいと思うが、多分私は人一倍怒鳴り声がこわい。

父親がよく怒鳴る人間だったからだ。虐待を受けていたわけではないが、何かやらかした時は怒鳴られていた。親が昭和の人間だったから、しつけの方法はそれ以外知らなかったのだろう(私の両親は私の年齢にしては結構歳である。高齢出産だ)。

外でも気に入らない事があるとよく他人を怒鳴りつけていた。

一緒に子供も楽しめるような施設に遊びに行く、店員の態度が気に入らないと怒鳴り出す、幼い私は咽び泣く。という記憶がある。今思うと最悪の光景だなと思う。

幸い私は他人を怒鳴りつけるような人間にはならなかったが、物に対しては気に入らない事があるとよく怒鳴っている。さすがに他人の前では出さないが、近親者の前では今もたまに出る。きっと幼少期のこの記憶の影響だろう。怒りのコントロールが出来ず、物に当たる事も多かった。

ただ、意識するようになってから少しずつマシになってきているとは思う。そうでありたい。

物に執着しがち

幼い私は両親から愛されていた。あらゆる物を買い与えられた。おもちゃが大量に家にあった。

3歳くらいの誕生日だかクリスマスの写真で、当時の私がすっぽり入れるくらいの箱に大量におもちゃが入っていた、というものがあった。その写真を見たのは小学生の頃だったが、「なんだこれすげえ」と思った記憶がある。

とにかく私は大量のおもちゃに囲まれて育った。今も物に固執しがちなのはこの記憶からだと思う。

当時は家庭もまだ円満で、週末はよく色んな場所に遊びに行ったものだ。小さい頃は悩みも無かった。ただ楽しかった記憶だけがある。

ちなみにぬいぐるみや人形、ミニチュアが好きなのもこのへんの影響だと思う。

一つの事に集中しだすと止まらない

小学生の頃、ジグソーパズルが好きだった。ディズニーの簡単なものだったが、1000ピースのパズルにもよく挑戦していた。

だからか、好きな事への集中力は高い。最近は何かに熱中すると、寝食忘れて没頭する。この記事なんかもそうだ。

パズルは一つ一つのピース自体は何でもないのに、組み合わさると絵になる。それが好きだった。

ものづくりと通ずるものがあるので、私がものづくりに熱中するのは必然の事だったのかなと思う。

私の人格はこんなところである。ところどころ歪んでもいる。

健常者に「生きづらそうだね」と言われた事もある。

結局、人格や自我ってものは幼少期の記憶が大きく影響するものらしい。ここに書かなかった事でも、まだたくさん思い当たる節はある。

もちろん大人になってから培われた自我もあるにはあるが、幼少期の記憶からの影響が圧倒的だろう。

ここまで書いてみて思ったが、私はいまだにこの幼少期の記憶というやつの苦しみから解放されていないらしい。

だが、自分の欠点をいつまでも棚に上げておくのも良くないだろう。

欠点は欠点だと認め、幼少期のあまり思い出したくない記憶を思い出してきちんと向き合ったうえで、それを上手い事浄化させ、前を向く必要がある。

苦しんでいたのは当時幼かった自分だ。世界が狭かった頃の自分だ。隣町に行く事すら冒険だったくらい、世界が狭かった頃の自分だ。

今の自分はあの頃から考えると色々な事を知った。世界はとても広いという事を。良くも悪くも世界は広い。

今の私は、あの時の親はとにかく大変だったんだと理解出来るし、多少歪んだ人格になったとはいえ、ここまで育ててくれて感謝している。

ちなみにこの幼少期の潜在的な記憶をインナーチャイルドというものらしい。

幼少期の頃の、心のうちに潜んだ幼い自分と向き合う。それが今抱えている心の闇を解決する手段になるだろう。

幼い自分と向き合うのは、とても辛い事かもしれない。しかし、これは自分にしか出来ない事だ。たった一人の戦いだ。身近な人はサポートはしてくれるかもしれない。しかし、根本的に解決出来るのは自分一人だ。自分で記憶の海に潜る必要がある。

別に一気に潜れとは言わない。辛い記憶をたくさん持つ人にはしんどすぎる作業だろう。下手したら溺れてしまう。ただ、無理のないペースで、一つ一つの記憶に向き合って。疲れたらしばらく休んでもいい。

私だってまだ不十分な部分はあるが、何年もかけて少しずつ向き合って、だんだん良くなってきていると感じる。

たくさん自分と向き合って考えた結果、少しずつ他人の気持ちに寄り添えるようになったと思う。

当時は辛かったけど悪い事ばかりじゃない。昨日にお別れを言い、今日を精一杯生き、明日を歓迎する人生でありたい。

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