凡シュール

出来ること、出来ないこと、出来なくなったこと。

凡シュールのエッセイ

2020年3月3日にnoteで公開した記事のリバイバルだ。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

だいぶ赤裸々な内容である。 この記事を書いて以後今まで結局鉄棒には一度も手を触れなかったし、今現在仕事らしい仕事には就いていない。

とはいえ、この頃のような閉塞感もほぼ無い。 私ではなく社会の方がおかしいと気付いたからかもしれない。一種の開き直りか。

私はこのサイトのように自分のブログという居場所に舞い戻ったし、そこをただ育てる。 それが私のライフワークだ。

このサイトがきっかけで今後何かの仕事が舞い込んでくるかもしれないし、こないかもしれない。

そんな事は結局対外的な評価に過ぎない。私にはこのサイトを育てるという、自分で自分に課した使命がある。

世の中に需要があれば今後このサイトは成長していくかもしれないし、繰り返すが何らかの仕事が舞い込んでくる可能性もある。

需要が無ければそれまでだ。しかし私にとってこのサイトは必要なものだ。だから更新する。育てる。それだけだ。

それにしても私の人生初めての職場は本当にひどいものだった。

なぜあんな職場で3年ほど働いていたのか不思議なレベルだ。

まぁそのパワハラ鬱店長は早くにどこかの店舗に移転したか入院したかで姿を消し、ウザいお局様は就職で店からいなくなった。

突然だが、私は小学生の頃、鉄棒が出来なかった。

基本の前回りすら出来なかった。出来ないのはクラスでただ一人だけだった。同級生達が逆上がりなどをどんどんマスターしていく中、私は前回りすら出来ずに、鉄棒の前でじっと立ち尽くしていた。

「どうして出来ないの?」

たかが鉄棒だ。出来ない方が不思議である。

どうして当時の私は鉄棒が出来なかったのか?おそらく怖かったのだ。

幼稚園の頃、ブランコに座った幼い私は空を見上げていた。

その直後、私はひっくり返っていた。何ともどんくさい話なのだが、私は空を見上げすぎてブランコからひっくり返ってしまったらしい。

その時は特に怪我もせず、痛かった記憶もない。明確に怖いという感情はなかった。ただ、世界が急にひっくり返ったので、とてもびっくりしたような記憶はある。

鉄棒の話に戻すと、小学生の私には、きっと幼少の記憶(当時からしたら2年前くらい)が微かに残っていたのだろう。

私は鉄棒が怖かったのだ。万が一、手が離れて頭から落っこちてしまったら。大怪我してしまうかもしれない。最悪死んでしまうかもしれない。ばかばかしい話だが、当時の私は本気で思っていた。

結局、私は今まで一度も鉄棒をやる事なく生きてきた。鉄棒が出来ない人間だ。

しかし現在の私は、鉄棒を失敗する事なんてそうそうないという事を理解している。鉄棒を失敗して死ぬ、あるいは大怪我をする確率なんて、おおよそ1%もないだろう。

だから、仮に今目の前に鉄棒があって「前回りしてください」と言われたら、難なくやってのけるだろう。

小さい頃、私は親に「不器用な子」だと言われて育った。

実際に裁縫はまっすぐ縫えないし、家庭科の成績も大して良くなかった。ミシンなんか大嫌いで、ミシンを使った課題は手先の器用な親にほぼ作ってもらったりしていた。

だから当然編み物も出来なかったし、裁縫も出来なかった。

だが何年か前から、気まぐれに編み物に挑戦し始めた。まずかぎ針編みに挑戦したのだが、最初は基本の長編みすらろくに出来なかった。説明を見ても意味が分からなかった。何時間もウンウン考えた結果、ようやく分かるようになった。棒針編みでも同じく、基本中の基本である裏編みからつまずいた。裏編みの編み方一つ理解する為に、4時間くらい指南書と動画を見て首を捻っていた気がする。

今ではネックウォーマーやあみぐるみくらいなら編めるようになった。セーターはまだ無理だが。親には「器用になったわね」と言われた。

一昨日、初めて自分でポーチを作った。やっぱりミシンの使い方が分からず、取扱説明書と格闘しながら、罵詈雑言を吐き散らしながら作った。あまりいい出来とは言えないが、とりあえずポーチの形に仕上げる事は出来た。まだ知らない機能もたくさんあるが、一応ミシンを使う事が出来るようになった。

上に挙げた事に限らず、私はたくさんの”出来ない”事を”出来る”ようにしてきた。特にここ数年顕著だった気がする。あらゆる事に挑戦した。

何が言いたいかというと、自分が”出来ない”と思っている事は、もしかしたら記憶が、あるいは潜在意識が作り出している思い込みなのかもしれない。

昔の私は「自分は不器用だ」という思い込みのもとに、自分は手芸は出来ないのだと思っていた。確かに根気は必要だし、最初は下手くそ極まりないものが出来上がった。初めて編んだコースターは、正方形のはずがぐんにゃり曲がった歪んだ形になった。コースターさえまともに編めないのかと絶望し、自分に呆れたものである。

だが、上手くなりたいとやり続けた結果、今がある。結局のところ自分は編み物という行為が好きなのだろう。だから辛くてもめんどくさくても続けてこれたし、少しずつだけど上達出来た。

「絵が描けたり文章が書ける人、ものづくり出来る人はすごい、羨ましい。自分には出来ない」と言っている人をたまに見かける。

それは本当だろうか?挑戦しようともせずにハナから決めつけているのではないか?私は心の中でそう応答する。

「自分には無理」という思い込みの魔法をかけてしまっているのではないだろうか。

別に、暑苦しい精神論を述べたいわけではない。「信じれば何でも出来る」なんて妄言を言うつもりもない。

全力で取り組もうが出来ない事だってある。あるいは全力で取り組めるほどの興味や熱量は実はなかった、とかかもしれない。

出来なかったけど出来るようになった事がたくさん増えた私だが、反対に出来なかった事だってある。

ぱっと思いつくのはスプラトゥーンだ。

ゲームかよ、と思われるかもしれないが、一時期私はこのゲームにのめり込んでいた。

私が下手なのか分からないが、少なくとも一緒に遊んでくれる人たちはみんな自分よりゲームが上手い人ばかりだった。同じ土台に立ちたかったし、足を引っ張るのも嫌だったのだろう。だからひたすら練習した。上手い人の動画もたくさん見た。

ある上手い人は言った。

「ウデマエなんてずっとやってれば上がるよ」

その言葉を信じて嫌になってもやり続けていた。数字にはあまり表れなかった。だから上達してるのかも分からなかった。自分のやり方が正しいのかすら分からなかった。当時の私には、これくらいしか熱中出来る事がなかった。

ある時、自分がこのゲームを全く楽しめなくなっている事に気付いた。それに気付いてコントローラーを置いた。”ある上手い人”の言うとおり、ここでコントローラーを置かずに続けていたら、もしかしたら上達して上手くなってたかもしれない。しかし、私にその情熱はなかった。

このゲームにそれだけの熱量を懸けるくらいなら、他にやりたい事がたくさんあった。

スプラトゥーン自体はごくたまに(それこそ年に1〜2度)しか起動しなくなったが、上達など気にせず純粋に楽しめるようになったと思う。

他に出来なかった事。公務員になれなかった事だろうか。

某自治体で1年臨時のバイトをしていた経験で、そこでの職場環境が良かった事や、「明確に人の役に立つといえる仕事をしたい」とふんわり考えていた自分は、ある時公務員を志していた。

一応公務員試験の勉強をしていたが、仕事をしながらという事もあり、何とも効率が悪かった。何かを学ぶ事自体は好きだが、昔から試験の為の勉強というのが出来なかった。ただセオリーを頭に叩き込んで試験後には全て忘れている、みたいな勉強法が嫌だったのだ。

かといって勘で乗り切れるような頭脳もないので、当然一次試験は受からない。何年か受けたが、全て一次試験で落ちた。

結局のところ、私はそこまで公務員になりたいとも思っていなかったのだろう。人の役に立つ仕事がしたいという気持ちは事実だったが、その気持ちはまだ漠然としていた。具体的にどう役に立つのかというイメージは、ほぼなかった。

あの頃の私は暇があれば”試験勉強”に費やしていたが、今思うと「何かに頑張っている、没頭している」という事実が欲しかっただけなのかもしれない。

「公務員になる」という目標のもと、「試験勉強を精一杯やっている」という、生きる意味が欲しかったのだろう。それ以外は虚無だったから。

”出来ること”、”出来ないこと”について書いたが、次は”出来なくなったこと”について書く。

それは仕事である。

結婚して、相手がたまたま高給取りだった事もあり、私は働かずに済む生活を送っていた。子供はいないので子育てに翻弄される事もなく、自由気ままに過ごしていた。

この環境を羨ましがる人もいるだろう。

実際に快適な生活だ。自分が働かずとも飲み食い出来て、更に遊べるのだから。

だが同時に、自分は色々な事が分からなくなっていた。

「このまま養われている立場でいいのだろうか?本当にこれでいいのか?仕事すらない私は誰からも必要とされていない存在ではないのか?」

常にその疑問が頭から離れなかった。

「では働けばいいじゃない」という話だが、私はずっと働く意志が湧かなかった。

なぜか?

最後に働いたのは5年くらい前、職場が近所だからという理由だけで選んだ某メーカーの事務職だ。

その前は、叔父に誘われたので叔父の建設会社で経理事務をやっていた。

その前は、何となくで選んだ個人営業のアイリッシュパブ。

その前は、当時アキバによく行っていたという理由だけで選んだ秋葉原のカラオケ。

その前は_

振り返ると、私は職場の場所や待遇などでしか仕事を決めてこなかった。

自分が仕事としてやりたい事が何なのか全く考えていなかった。そもそも何がやりたいのかすら分からなかった。

仕事なんて「めんどくさくて嫌な事、辛い事」としか考えていなくて、「楽しくてやりがいのある仕事」は高卒フリーターでフラフラしてきた自分とは無縁なものだと思っていた。

ただ正社員になりたくて適当に応募した事務職。履歴書の志望動機はいつもそれっぽい事をでっち上げていた。全て本心ではなかった。案の定落とされまくった。心も折れた。

ここで、私が初めて働いた時の事、高校生でピザ屋のバイトをしていた時の話をしよう。

入ったのは高1だったので、ドライバーではなく店の中でサイドメニューやピザを作るような仕事内容だった。

当時の私は本当にウスノロだったし、仕事も人一倍出来なかった。ある時、パスタのカルボナーラにブラックペッパーを振りかけるべきなのを、うっかり忘れてしまった。

すると、店長に大声で怒鳴られた。

店長は「高校生が嫌い」だとハッキリ言っていた。だから私も嫌われていた、と思う。後で知った話だが、店長は心を病んでいたらしい。

心を病んでいたからといって、初々しい高校生にトラウマを植え付けるのもどうなのかと今なら思えるが、当時はそんな事も分からず、ただただ怖かった記憶がある。

同じピザ屋で、もう一人苦手な人がいた。

大学生の女の先輩である。その店のバイトのスタッフではボス的なポジションで、いわゆるお局様だった。

私は昔からうっかり者で、よく細かいミスをした。その度に「どうして間違えたの?」と聞かれた。ただのうっかりミスである、理由なんてあるわけがない。だが何度も同じ質問をされた。

こっそり励ましてくれる人はいたが、表立って助けてくれる人などいなかった。

そんなわけで、人生初めての職場は本当に大嫌いだった。よく部活と両立してやってたなと思う(ちなみに部活も嫌いだった)。

今思えばこんなひどいバイトとっとと辞めてしまえば良かったのだが、当時の真面目な私はあっさりと辞める事が出来なかった。なぜか辞めると言い出せなかったのである。

もしかしたらこの記憶が根底にあるのかもしれない。

初めてのバイトが散々なところだったから、仕事イコール辛い事のイメージが頭の根底に染み付いているのだろうか。

とにかく、この5年ほどは内心少し焦りつつも、仕事をしようとは思えなかった。

しかし、自分の生きる意味は欲しくて、ひたすらいろんな事を学んだ。先に述べた編み物などの手芸、絵、料理、プログラミング、ブログ…自分の興味ある、あらゆる事に手を出した。

その中で、ようやく自分の本当にやりたい事が見えてきた気がする。

きっとあらゆる事に手を出す中で、この作業は自分が出来る事なのか、仕事としてやりたい事なのかどうなのか、それともただ趣味として楽しみたい事なのかという整理をしていたのではないかと思う。

ここ1年ほど、実は個人事業主を志していた。自分の作った作品が誰かの手に届いて、その人生に少しでも彩りを与えられたらと思う。今でもそう思っている。

とはいえ、いきなり個人事業主で生計を立てるのは難しい。それは嫌というほど思い知った。だが、これは副業でも出来る事だ。将来の展望が見えたらそっち専業にすればいい。

では、この将来やりたい事に繋がる仕事をすればいいのではないのか?

本当に自分の興味ある分野、いわゆるものづくりとか自分が好きな物に関わる仕事だ。

闇のトンネルにやっと光が射しつつある。

結婚前はただ遊んだり生活する金が欲しくて、待遇だけで仕事を選び、その必要がなくなったら働く事が出来なくなった。

そんな私の空白の5年間。いや、もっとずっと前から。私はどれだけの遠回りをしてきたんだろう。

でも、遠回りをしてきたからこそ、本当にやりたい事を見つける事が出来た。そんな気がする。

ぱっと見ると10年ほど棒に振ったわけだが、実際は無駄じゃなかった。そう思いたい。

まだどうなるか分からないけれど、私は仕事を探す決意をした。

ものづくりに携わりたい。誰かの人生の、些細な宝物との出会いを繋ぎたい。

たくさん回り道して色々分かった今なら、きっといい仕事と巡り会える気がする。

「リトルターン」という本がある。

飛ぶのが当たり前なのに飛べなくなったコアジサシという鳥、一羽の鳥の、飛べなくなった理由を探す哲学的な物語である。挿絵が淡くてとても綺麗な本だ。

今の私は、まさにこのコアジサシと一緒だなと感じた。

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書きたい事をばーっと勢いで書いて、全く纏まりのないとっ散らかった文章になってしまった。

とにかく私が言いたいのは、出来ないと思ってた事は実は、自分の過去の記憶の中の潜在意識によるものかもしれないし、それでも本当に出来ない事は出来ないし、あるいは出来ていたはずなのに出来なくなってしまった事は、やはり自分の記憶の中の潜在意識によるものなのかもしれないということだ。ただそれだけのことだ。

今度どこかで鉄棒を見かけたら、前回りに挑戦してみようと思う。

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