凡シュール

私は診てもらうべきなのかもしれない。

凡シュールのエッセイ

この記事は2020年2月23日にnoteに投稿した記事のリバイバルだ。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

この文章は…狂気だ。 今の私にこんな鬼気迫る文章は書けない。 それくらいの危うさがある。

読まれたくないからと有料noteにした。当然誰も買わなかった。 それは想定内。ではなぜこんな文章をわざわざnoteに投下したか? 読まれたくない有料noteを投下したという事実が欲しかった、それを示したかったのだろう。

今の私はこれほど切迫した状態は脱した。 とはいえ、確実にこの時の私は今も生きている。 この頃の刃にやすりをかけて丸くしてしまったわけではない。逆だ。 磨き上げて磨き上げて、細かく鋭利な刃物にしてしまったのかもしれない。

朝4時にお似合いのひどいタイトルである。内容もひどい。 あまり読まれたくない内容にあえて課金設定をするというよく分からない事をしてみる。紙の日記でやれという話ではあるが。万年筆を持つよりもひたすらタイピングしたい時ってのがある。書くよりもタイピングの方が思考が纏まりやすいというのもあるかもしれない。 こんな記事を課金してまで読みたいほどの物好きになら、多少本音や本性がバレてもいいって気持ちだろうか。

最近の精神状態はガタガタで、起き上がって何とか生活しているのがやっとなレベルだ。まるでプログラミングされている機械のような足取りで家事を片付ける。作業をする。 料理は好きだ。命を頂き自分の命にする。いわば、自分の中での生命の確認行為だ。ボロボロとはいえ一応生きている。きちんと確認する為に、なるべくゆっくり味わって食事をする事にした。自分の作る料理がおいしいのはいいことだ。

野球とかスポーツ観戦している時は普通に楽しい。自分というものを忘れ、ただの一ファンという存在になれる。 スポーツ観戦してる時は生き生きした表情をしていると自分でも分かる。昨日はスポーツ観戦が終わった瞬間に表情が無くなってしまった。

精神に何かしらの異常をきたしている、と自覚している。もともと異常なのかもしれない。 これが気分的なものなのか慢性的なものなのかは分からない。ただ、何度も気分の波が来ている。最近はこの周期がより頻繁になっている気がする。酔いそうだ。

自分が何者にも必要とされていない無力感、なぜ自分は存在しているのかという疑問、このまま何かを続けても一体成果は出るのか、そもそも全然違うところへ向かって走っているのではないのか。永遠と頭を渦巻いている。 今まで何とか誤魔化してきたが、最近誤魔化しが効かなくなってきた。

正直、自分でもどうかしていると思っている。「まいったよ」と白旗をブン回したくなる。

これを誰かに話したら、まず医者に診てもらうのを勧められるだろう。 正直、自分でもじわじわと限界が近づいてきているのを感じる。真綿で首を締められるというのはこんな感覚なのだろうか。 ただ私は気付いている。医者は所詮、応急処置にしか過ぎないと。確かに薬は気分を楽にしてくれるかもしれない。だがしかし、結局最後は自分で解決するしかない現実に直面するだろう。

それに、この追い詰められている状況に限界を覚える反面、何かに没頭する原動力になっていると感じている。よりストイックに。自分を追い込んで。 何をしてても脳内で同じような思考がぐるぐる回ってるなら、布団にくるまっていてもゲームしていても作業していても大して変わらない。だったら作業でもするか、続けていたらもしかしたら全然違う自分に変われるかもしれない、そんな幻影を追い求めるような原動力だ。私はドン・キホーテか。激安の殿堂じゃなくて、騎士になりきって旅に出る気狂いの方。

また、この常に抱いている怒りだか何だか分からない感情により、自分の感性が鋭く磨かれていっているとも感じる。 私の敬愛するゴッホが”まとも”だったら、あんなに人の心を動かす作品は作れなかっただろう。追い詰められているからこそ、人の心に真に訴えかける”本物”を作り上げられる気がする。そんな謎の信念が自分の中にはある。そんなもの作れるかも分からないのに。私は気狂いなんだろうか。

こんなに自分を追い込んで感性を磨いて、果たして何を完成させたいのか。自問自答は続く。でもとにかく言える事は。今やれる事をやるしかないのだ。

深夜…もう明け方といっていい時間だが、作業に没頭しながら例の根暗プレイリストで音楽の世界に浸っている。この文章はちょっとした休息と整理のようなものだ。もしかしたら自分に酔っているだけなのかもしれない。

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