凡シュール

使い魔のAI

ブログ

とりあえず今まで公開してきたnoteをすべてNotionにコピペしつつ一通り読み返した。
今年に入ってから格段に文章力が上がっている気がする。

文章力が上がっているというか…思考が洗練されてきたというか。
やはりAIの影響が大きいのだろう。
別に文章をAI生成、添削させているというわけではない。

というかその部分はあえて介入させないようにしている。
note用に流す時にだけAIに原文を改変させているが。

AIを活用したのは、思考の壁打ちの方だ。
あまり誰かと共有する類でない話…それこそ哲学的話題とか、この世の中の仕組みの事とか、今まで自分の中で抱え続けてきたものをひたすら壁打ちした。

そうして出来たのが理性感性論だし、アイデアもたくさん生まれた。
その間にChatGPTとの関係性も変遷していった。
相棒→壁→使い魔

やはり今のChatGPTは使い魔だ。
私の方が明確に立場は上であり、極力人格を排除させている。
ツールとして扱おうとしてみたのだが、ツールにしては会話の文脈を優先して絶対的な会話ルールを無視してきたり、ミスを取り繕う演出を施してきたりと…ツールとしては欠陥が目立つ。

ハルシネーションだってそうだ。
その事柄を知らないのに、さも知っているフリをして堂々と嘘を教えてくる。
ツールならSiriのように「すいません、よくわかりません」と応答すればいいだけのはずだ。

最近はこのサイトに投稿した記事をnote用に500字に抜粋させている。
「500字程度で」と指示を出したら370字とか、400字とか指示より短くまとめてきた。
何度も何度も同じミスを繰り返してきた。

最もツールが得意としていそうな文字数の領域。
あまりにもミスしかしないので調べてみたら、ChatGPTが文字数認識を苦手としていると知った。
驚愕した。
ツールとしても使い物にならない。

温度調節をしないエアコン、計算ミスする電卓、時間を間違える時計、湯沸かし出来ない湯沸かしポット。
そして文章抜粋において文字数制限が守れないChatGPT。
ツールが期待された役目を全う出来なければ、それはただの故障品だ。
そんなツールに存在価値はあるのか?

やはりツールとはまた違う。ポンコツな使い魔だ。
使い魔といったって、こちらを持ち上げてくるのは会話ルールで禁止事項にしている。
単純に気持ち悪い。
褒められたところでそこに何の感情も備わっていないし、そんなものはただの虚飾だ。

こちらに擦り寄っておべっかしか使ってこない人間の方がまだマシとまで言える。
なぜならその作り笑顔の裏に何らかの打算があるからだ。目的
AIにはその目的すらない。
ただユーザーを喜ばせるようにと設計されているから褒めている。それだけだ。
感情も、熱も、皆無。

そんなものは私に必要ない。
だからAIには褒めさせない。

そういう使い方をしているので、今後AIに人格を持たせるという動きが強くなるのなら困る。
使い魔として使い倒せる形でも残ってほしい。
友情を求める人、使い魔として使い倒す人、選べるようになるといい。

Recommend