「東京じゃなくていいな」
ふとこのように閃いたのが、この前の事。
日本というのは、東京を中心に回っているものだと思い込んでいた。
いや実際東京という地は首都だし、様々な面で要衝となるところだ。
それに東京には何でもある。
買い物はもちろん、イベント、買い物、イベント、買い物…
正直、東京にあるもので思いつくのが買い物とイベントくらいしかない。いわば娯楽だ。
他に挙げるなら国会図書館くらいか。
東京の観光地は?と聞かれたら結局スカイツリーや渋谷など、消費が根強い地域を挙げる事になる。
スカイツリーなんて一度のぼれば満足する。
あとはソラマチのショッピング街だけだ。
他にすみだ水族館はあるけれども。
何でもあるというのは便利で嬉しいものだが、何でもありすぎるというのもそれはそれで煩わしいものだ。
刺激が強いのは面白いが、毎日刺激ばかりだと飽きる。メリハリが無い。
サビしかない曲をずっと聞かされてるようなものだ。
そもそも東京という街は選択肢が無限なようでいて、実は街ごとの基本セットはそっくりだ。実際に歩きまくったから分かる。
まずどこにでもあるチェーン店が駅前にあり、アセットとしてその街ごとの個性があるようなものである。
昔はその個性がもっと強かったのだが、最近は再開発や商業施設の均質化により、本当に似たような基本セット+街の個性…みたいな感じになってしまった。
自分たちで東京独自の魅力を剥がしてどうするんだろう。
長期的に見たらかなりの損失だと思うんだけど。
目先の利益しか見えてないんだろうな。
そんなコピペ+ちょっとした加筆レベルの膨大な選択肢に「今日はどこへ行こう」と頭を悩ませるのは…本当に無駄な気がした。
贅沢な悩みだろうか?
しかし欲しい物が明確に定まっている場合、何でもありすぎる状態というのは明確にノイズになる。
空虚な贅沢だ。渇きは収まらない。
ところで、東京に決定的に足りていないものが一つだけある。
余白だ。
どこを見ても人間、建物、広告が視界に入る。
情報、情報、情報。
情報なんていまやスマホを開けば嫌というほど目に入る。
画面の中でも外でもひたすら情報の海。
自分自身すら実体のないデータになってしまいそうだ。
そんな消費と情報の最先端の街、東京にぶら下がってるだけの空虚な場所。
東京の劣化コピー。
ここ数日書いているが、これが私の故郷の正体だった。
一度「東京にすぐ出られる」というラベルを外してこの街を見たら、ただ山を切り拓いただけの、坂まみれで、無機質で、住宅がごみごみと詰め込まれただけの街だった。
人間だけがたくさんいるくせに東京ほど華やかでもない。
ただの劣化版の東京。
私の実家のあたりなんか本当にただの住宅街なのだから、言うほど便利さも無い。
人間が詰め込まれているという最悪のデメリットを覆すほどの魅力が無い。
東京に近い以外のアイデンティティが何も無い街。
毎日毎日恨み節ばかり書いて…
それだけ長年の恨みが蓄積していたという事だろう。
恨みの地層を削り出している段階だ。
それでも、私はやはり東京が日本の中心だとずっと思って生きていた。
しかし大人になってから様々な土地を見てまわったが、どうやらそうではないらしいことに徐々に気付き始める。
私はこの人生で首都圏を離れるという事は全く考えていなかった。
選択肢に上がりすらしなかった。
東京は、外から来る人が多い魅力的な街だと思っていたからだ。
実際魅力的な街ではある。
だが、ちと過剰すぎる気もする。
それでいて、どこにいっても人間から逃れられないという明確なデメリットもある。
あと、金が無い人間には全く微笑まない街だ。
都心を散歩しては、帰りに乗る電車の時間を考える日々。
乗る時間と駅を見誤った瞬間、殺人的なラッシュに巻き込まれるからだ。
昔からラッシュに巻き込まれて押しつぶされることを「人権を失う」と呼んでいた。
だから散歩なのに、時間を頻繁に気にしなければならない。精神的貧乏。
息苦しい。
それでも東京にしがみつくのが正解だと思っていた。
というよりは、それ以外の選択肢が全く候補に上がっていなかった。
私にとって地方とは、たまに訪れて生きるための酸素を補給する場所だったからだ。
だが、
天と地をひっくり返す。
地方に住んで、足りないものを東京で補えばいいのではないだろうか?
これはキラキラした地方移住計画とは違う。
ただ、私は人として呼吸出来る場所に住みたいだけだ。
誰かの障害物でも消費者でもない、私として呼吸できる場所に。
考えてみれば、何でこんな当たり前の事に気付かなかったのだろうと思う。
空が動いているかと思いきや、足元の地面が動いていた…といった話だ。
無菌室育ちの私が、地方ならではの絆の強さというものがあまり得意でないという事も自覚している。ちゃんとそこはわきまえている。
マンションに住めばそういった面倒なしがらみとは、ある程度距離を置けるだろう。
転勤族が多そうなところに住めばいい。
そしてそこそこの利便性、都市機能を持っている土地である必要がある。
色々考えた結果…
どこに移住しようと思ったかは言わないでおこう。
すぐに移住出来るほど世の中甘くないが、準備を進める事にした。
とにかく、私は行動を始めた。
愚痴っているだけでも仕方あるまい。
嫌だと思うなら逃げ出せばいい。
これはただの逃避ではなく、私が私らしく生き、その私らしさを世間にぶつけるための戦略的撤退である。
ゴッホも元々パリという芸術の最先端の地で暮らしていたが、アルルに移住してあの色彩の暴力のような才能を開花させた。
そこに、私のアルルはあるだろうか。
分からない。
でも「私のアルル」を見出した私は、ようやく動き出せるのだろう。
散々東京をdisってはみたが、まだ東京にも必死で何かを繋ぎ止めようとしている人たちがたくさんいる事も知っている。
徐々に失われつつある、街の個性を守ろうとしている人。
それは風前の灯火かもしれないが、まだ完全には消えていない。
私のアルルに逃げ出す前に残された仕事は、その東京および首都圏近郊のわずかな「生の手触り」を感じ、記録し続ける事なのだろうとも思う。
天と地の転換
星は見上げるものでなく 掴むものだ
















