冷房も何もつけず寝たら、暑さで目が覚めた。
仕方なく冷房をつけたら寒い。
どうすればいいんだい…。
最近ギャラリーページ作りにうつつを抜かしていたせいで、また料理がおざなりになっていた。
嫌いというわけでもないし、美味しい物は食べたい。
ではなぜ料理がおざなりになるのか。
それだけ料理という一連の行為が結構高度な事を要求されるからかもしれない。
一つ一つは大した事ないのだが、複合的なのだ。
作るレシピを選び、材料を買いに行き、下ごしらえをし、調理し、皿洗いをし、片付ける。
余りのおかずをタッパーに詰めたり、残った米を冷凍したりもする。
更には「食材管理」というタスクが加わる。
生鮮食品なら大体2〜3日でダメになるものも多く、調味料類も油断していると賞味期限から1年くらい経っていたりする。
膨大な時限アイテムを効率よく管理する必要がある。
ゲームなら使えなくなったアイテムはコマンド一つで捨ててしまえるが、現実はそういうわけにはいかない。
こうして書き出してみると、料理というのは想像以上に難易度が高い行為ということになる。
先日、サイト制作に注力していると娯楽に割くMPが足りないという話をしたが、料理のMPはもっと足りない事になる。
おそらくMP100くらいは必要なのではないだろうか。
だからこそ余裕が無くなるとすぐ料理が出来なくなる。
というか現代人にそんな余裕があると思ってるのか。
普段誰かに料理を作ってもらってる人はもっと感謝した方がいい。
とはいえ、料理の必要MPを下げる手段は存在するはずだ。
まず何よりもめんどくさい献立決め。
これはなんでもいいからレシピ本1冊に絞り、基本セットとする。
普段はこの基本セットの中から食べたいレシピを選ぶ。
そしてこのレシピはどんどんアレンジし、数を増やしていく。
食材だけを変えてみたり、味付けを変えてみたり。
例えば、ポテトサラダを作るためにじゃがいもを使ったが余ってしまった場合。
肉豆腐のレシピを参考にしつつ、豆腐の部分をじゃがいもに変えてしまうとか。
にんじんのスープを参考にしつつ、にんじんをじゃがいもに変えてしまうとか。
余ったじゃがいもを適当に味噌汁にぶち込むとか。
こうする事で食材管理の負担もかなり抑えられる。
料理を普段から何気なくやっている人間からしたら当たり前の行為かもしれない。
しかし大人になってから料理をするようになった私は、この事に気付くまでかなりの時間がかかった。
ポテトサラダを作った翌日なんかは、余ったじゃがいもを使うレシピをレシピサイトで新たに調べてそれを作る…みたいな事をやっていた。
だるい。だるすぎる。
アレンジする事で、似たような調理法でたくさんの料理が作れるようになる。
30のレシピを覚えたら100の料理が作れるようになる感じだ。
100個のレシピを覚えるより断然楽だし、効率もいい。
一つ言いたい。
このアレンジ部分を教えてくれよ。
世の中のレシピ本、レシピサイト、レシピ動画はたくさんの調理方法を教えてくれる。
が、たくさんのレシピを覚えるのは学習コストがかかる。
よくレシピ紹介の中で「ここは食材を変えてアレンジ出来ますよ〜」「ここは味付けを⚪︎⚪︎に変えてもおいしいです」とさらっと言ってる事がある。
そこ!それ!それをもっとちゃんと教えてくれよ!
その一言でさらっと流さないでくれよ!
1番知りたい部分が、なんか適当に流されてしまっているのである。
何だかなぁ。
料理に限らずあらゆる分野に言える事だが、教えてほしい応用パターンの情報が最も不足している事がざらにある。
初心者が1番知りたいのは応用パターンなのになぁ。
あなたの当たり前は私の当たり前じゃない。
そんなわけで…
サイトのギャラリーページはVRChatのスクショ、コレクション紹介と作ったので、次は料理ギャラリーを作り込んでいこうと思う。
写真と簡単なアレンジの記録を残したものにするつもりだ。
かつての私のような迷える子羊を救済するようなものになるかもしれないし、ならないかもしれない。
まあ何事もやってみるのがいいだろう。
誰かのためにというよりは、私はそういう記録をつけるのが好きなのである。
だからこそサイト制作に天職を見出したくらいだ。
ギャラリーページという動機づけにより、私の料理モチベーションも上がるわけで。
ここまで書いてみて思った。
私は元来物事の欠点がやたら目につくし愚痴っぽい性格ではあるが、その欠点を逆手に取ってポジティブなものに変換するのが得意なのかもしれない、と。
実際毎日、愚痴をエッセイに昇華させてるわけだし。
変換機能に優れている、という事なのかもしれない。