凡シュール

不条理の中で

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1日って早すぎるな。
昨日日記を書いたと思ったら、いつの間にか今日の日記を書く時間だ。

早い、あまりにも早い。
気付いたら6月も終盤。
7月がやって来るという事は夏本番である。
太陽はやる気に満ち溢れていて、既に夏本番の様相を呈しているがね。
暑いよ。夜ですら暑い。

を返してくれ。
電気毛布のじんわりとした暖かさ、湯に浸かった時の至福のひととき。
ツンと澄んだ空気。
恋しいよ、冬が。

冬じゃなくてもいい。一番恋しいのは春か秋だ。
心地良い気温。
散歩してもじっとりとした汗に悩まされる事なく、心地いい風が吹き抜けるあの季節。

気候を自在に操作出来たらいいのに。
願いむなしく、こちらの意思なく暑さ・寒さが目まぐるしく切り替わる。
こんな不条理が許されてたまるか。

この世界はあらゆる不条理に包まれている。
気候というのは一番操作出来ない部類のものだ。
暑い時期、寒い時期、その中間の時期。
どう抗ったところで、地球という惑星で生活していれば逃げようがない。

他に思い付く不条理なもの。
時間
確かに、何かしているか・していないかに関わらず時間というものは無情に過ぎ去っていく。
有意義な事をしていようが、ぼーっとしていようが、昼が終われば夜になる
そんな日々を積み重ねて人は歳を取り、やがて死ぬ。

時間というもの自体は確かに存在している。
しかし時間という概念は人間が設定したものだ。
1秒、1分、1時間、1日、1週間、1ヶ月、1年。
1日が24時間なのも人間が決めた。
遥か昔の人間が。

そのルールが今も人々を支配している。
テクノロジーの進化で、ルールはより厳しく。
人は時間というものに追われ、タイムパフォーマンスを意識する。
効率、効率。

ふと思う。
この世から時間という概念が無くなったらどうなるのだろう。
太陽が昇る、沈む。その繰り返し。
桜が咲き、散り、暑くなり、涼しくなり、寒くなる。

時間を数字で表現しない世界
それは一体どんな世界になるだろうか。
フィクションで書いてみてもいいのかもしれないな。

noteが嫌いになった今も、他人のnoteはちょくちょく読んでいる。
あくまで公式の姿勢が嫌なだけで、書いてる人たちが嫌いになったわけじゃないし。

私は多分怪文書みたいな文章が好きなんだと思う。
他人に読ませる気が無くて、ひたすら自分の脳内を公開しているような。
思考の軌跡がそのまま加工せず書かれているもの。
生を感じるからか。感性の呼吸。

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