凡シュール

いい歳してて何が悪い

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2025年5月4日にnoteで公開した記事のリバイバル

いい歳して〜」みたいな表現がある。
私の大嫌いな表現ワースト5に入るものだ。

ようするに年甲斐もなくチャレンジしたり子供っぽいとされる趣味に対して使われる言葉である。
世間的にはいい歳した大人は大人っぽい振る舞いをし続けなければならず、子供のような行動は慎むべきだと、そういうニュアンス。

私は勘のいいガキなので気付いた。

その世間って誰?

思春期の頃に誰もが通過した「普通って何?」と同じ疑問である。
冷静に考えたら世間という存在は謎である。
まあ大体偉い大人の集合体というイメージがある…よくわからんけど。

実態は同調圧力とかそういったものだと思うのだが、どうもこの世間というのは個人の中で一人歩きしてるんじゃないか?と思うことが多い。
大抵は親や教師の影響が大きい気はする。

私はぬいぐるみが好きなのだが、SNSでたまに「いい歳してぬいぐるみ好きで〜」みたいな予防線を貼ってる人をよく見かける。

なんで?

その予防線は誰向けなんだろう。
確かに「いい歳して〜」と心無い事を言う人はいるのかもしれない。

でも、そんな事を言う奴の方が…つまり、人様の趣味をわざわざ否定する人間の方が人として未成熟ではないだろうか。
言われたとしても、そういう風に思ってこっちから見下しておけばいい。
あぁ、「この人は未成熟だから他人の趣味にわざわざ口出ししてくるんだな」と。
これこそまさに大人の余裕ではないだろうか。

逆に「いい歳して〜」と自分が予防線を貼る事で、結果的に他の堂々とぬいぐるみを愛でてる人をdisる事にはならないだろうか?

歴史の偉人と言われる人を見てみてほしい。
アインシュタイン、エジソン、ウォルト・ディズニー、スティーブ・ジョブズ…。
立派な人たちだが、伝記を読むとどこか子供っぽい一面や無邪気さがある人たちだ。
模範的な大人からは逸脱した人たちだろう。

「いい歳して〜」
「立派な大人になりなさい」
この言葉がこれまで何人もの天才を潰してきたのだろう?と思う。

世の中には「いい歳して〜」と言われる事がたくさんあるが、立派な大人と子供っぽい事というのは共存しうると思う。
いわゆる理性と感性の共存

感性の押し殺しではない
模範的な大人は、新たなアイデアも余白もない。
そんな大人だらけになって社会が良くなるとも思えない。

感性にとらわれすぎず、いい感じに制御しながら共存する。
これが本当に成熟した大人の姿といえるだろう。
私の中の感性の遊び場は今日も健在だ。

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