2025年5月7日にnoteで公開した記事のリバイバル。
この記事だけだと誤解を招きかねない部分もあるから、この件はもう少し深堀りして記事を書き直す必要があるかもな。
世間的には連休明けってやつである。
さらに雨である。今週はほぼずっと雨らしい。
五月病がいよいよ本格化してくる頃か。
幸い私はこういった連休とは関係ない日々を過ごしている。
そのかわり祝日だろうが作業に追われ、マウスをカチカチし続けていたが。
勤め人だった頃はこの連休明けというのが憂鬱で仕方なかった。
なんなら大型連休で嬉しいのは連休前夜だけで、いざ連休に入ると「あと◯日で連休が終わる…」と死のカウントダウンをして勝手に憂鬱になっていた。
連休が半分過ぎると「あと半分で終わってしまう…」
連休が残り2日になると「明日の今頃は絶望しているに違いない…」
こういった感じだ。全然心が休まっていない。
いざ休み明けに出勤して最初にやる事はというと、メールチェックでも何でもない。
手帳を開いて「次の連休はいつなんだ…」と希望を繋いでいたくらいである。
こんな人間が勤め人なんか出来るわけがない。
そもそも週休二日制もそうだが、曜日って何なんだよと怒ってすらいた。
誰が決めたんだよこれは、と。古代人を勝手に恨んでいた事もある。
余計な因習を残しやがって。
そもそも仕事も成果主義の方がやりやすくないだろうか?
ちょっと決められたプロジェクトやって、終わったら◯日休み。
こっちの方がモチベーション上がる気がするんだがどうだろうか。
もちろんこれが当てはまらない職業はある。
あと導入するにしろ制度的な取り決めはする必要がある。
一向に終わらない長期プロジェクトの時は最低でも6日に1度休みを入れる、とか。
じゃないと1ヶ月休みなしって人も出てくるだろうから。
ほんと、週休二日制なんて古い考えに固執している理由が分からないし、そもそも週休三日にすればいいという問題でもない。
2025年にもなってまだそのレベルなのか、とすら感じる。
私に会社勤めが向いてない理由。
特にこの時期は起き上がるだけでしんどいし(おそらく気圧の影響だったのだろう)、毎朝のように体温を計って休む理由を探していたくらいだ。
世間様から言わせれば甘ったれのクソガキである。
が、そもそも世間様の理想像が高すぎる。
現代社会の「立派な大人」の理想的な人物がいる。
AIだ。
人間がAIになれるわきゃねぇだろ。
要領がいい人というのは、大抵どこかでサボっているものである。
一見バリバリ仕事出来る人というのも、バレずに上手くサボっているだけだ。
在宅ワークのどうでもいい会議でひっそりスマホゲーやってたり、会議が無い時間は少し昼寝してたり。
でも表向き仕事はちゃんとやってるので、支障ないわけだ。
これに気付かず100%の力で真面目に頑張る人から精神を病んで潰れていく。
実際鬱になりましたって人、真面目な人が多いなと感じる。
週休二日制はクソだが、制度というのはなかなか変えられないものである。
昔の学生運動よろしくバット片手にかち込むわけにもいかない。暴力に頼るのは時代錯誤だ。
じゃあこんな世の中でどうサバイブするべきか?
やはり上手くサボる事だと思う。
あと「自分がいなきゃこの職場は回らないな」と責任感を持つ行為。
医療や介護の現場だったら人命がかかってるので実際そうかもしれないが、そうではない職場の従業員は、案外入れ替え可能なパーツに過ぎない。
なので不必要に仕事に責任を感じる事はない。
適度にサボりながら70%くらいの出力で働くくらいがちょうどいいのではないだろうか。
私が仕事中ムシャクシャした時は、辞める時のための引き継ぎ用マニュアルをひっそりと作っていた。
実際辞める時に大いに役立った。
なぜなら1ヶ月前には辞める宣言したにもかかわらず、人事部が引き継ぎの人材をよこしてきたのが辞める1週間前だったからである。
そういうところ込みでアホな会社だった。
まあ会社勤めが合わなくて、フリーランス(売れないクリエイター)に逃げた人間の戯言である。
フリーランスは完全に向き不向きがあるよなぁ。
自己管理上手くやれる人間じゃないと無理。
だらけすぎてもダメだし、厳し過ぎてもダメ。
ほんと難しいよなぁと思う。