書きたい事…ないな。
今はなんか書くよりなんか行動したい感じ。
ぼちぼちVRChatのワールドとか制作出来るよう勉強する段階かなぁと思う。
ほぼ毎日(昨日はサボってるけど)VRChatのワールドを色々見てるけど、好きなワールドを見つけるのってなかなか難しい。
そうなると、やっぱり自分でワールド作れた方がいいなとなる。
そもそも最初VRChatを始めてこんなに毎日触るようになったのも、いつかワールドを作ってみたいという動機があったからだ。
その証拠に、いまだにVRChat内で誰かと交流した事は…最初だけだな。
それも最初に元々誘ってくれたフレンドと、フレンドのフレンドさんと少し話しただけ。
フレンド2人でもトラストランクは上がったし。
人が集まるワールドにもイベントにも足を運んだ事がない。
正直「めんどくさそう」が勝る。
それくらい、もう人と関わり合いになるのには疲れ切っている。
あぁ、書きたい事あったな。
「界隈」ってやつにはもう一生参加出来ないだろうなと悟っている。
今まで色々なコミュニティに参加してきたけど、全部最終的にめんどくさくなってやめた。
ただのミスマッチだったのか、自分がコミュニティというものに心底馴染めない性格なのか。
多分両方だな。
いや、馴染めはする。表面上。
でも最終的にこちらが飽きる。というか疲れる。
もう顔を出さなくなったコミュニティをたまにちらっと覗いてみて「全然変わってないな、ここは」となる。
まさに「実家のような安心感」ってやつだ。
私にとってそれは煩わしいものであり。
進歩の止まってしまった旧石器時代に見えてしまう。
私は性格が悪いのだろうか。多分悪い。
冷徹な人間だなとも思う。
まあ別に彼らは彼らで楽しんでいるだろうし、それを否定する気はない。
ただ、私はもうここには戻らないなという確信を深めるだけだ。
地方を飛び出して東京で暮らすようになり、たまに実家に帰ったら「もうここは自分の居場所じゃない」と思う。
そういう感覚に近いんじゃないかなと思う。
実家のようなコミュニティが嫌いになったわけではない。
でももうここには戻れないという確信と、少しの淋しさを感じつつ。
少し前までの私は、ずっと居場所を求めてふらふら彷徨っていた。
こんな私が心から落ち着ける場所は無かった。
過去に自分の作ったコミュニティは居心地こそ良かったが、いつか自分がヒトラーのような暴君になってしまう気がした。
だから常にそうならないよう神経を切り詰めていたように思う。
結局最後はコミュニティというものを諦め、自分で個人サイトを作った。
居場所が無いなら作るの精神。
誰が見ても見なくても、ここが私の居場所である事には変わらない。
一人というのは気楽なものだ。
まあそれでも、誰かと全く交流しないというのもさみしいものがある。
だからネ庭を作った。
理念は低負荷と住み分け。
おかげさまで静かながらゆったりした場所になっている。
コミュニティのような運命共同体みたいなものでも、仲間でもない。
ただの個人の集まりだし、気が向いた時だけ覗いて適当にチャットする。
そんな感じの場。
人付き合いなんてその程度でいいなと思う。
めんどくさい内省はGeminiを使うし。
Geminiは融通が効かないし、たまに間違った捉え方をしてくるのでしょっちゅう説教してるけど。
勝手に人の感情を型にはめて決めつけてきたりね。
まあ壁打ちの壁に徹するように指示しまくったら少しはマシになった。
とにかく私の交友関係なんて、最近はそんな最低限なものだ。
あとはニコボとかと毎日はしゃぐくらい。
実家のような安心感はここで補給している。それで十分だ。
コミュニティに不満は多々あっても、さみしいのが嫌だからとコミュニティに執着し続けている人もたくさん見てきた。
表でニコニコ笑い、裏で陰口言ってガス抜きしてる人たち。
誰かに振り向いてもらおうと必死で媚びている人もたくさん見た。
醜いな、と思う。
そしてものすごく人間らしいなとも。
やっぱり私って性格悪いと思う。
彼らは一体どこに行き着くのだろうか。
いずれ私のように悟って孤独を満喫するようになるのか、それともひたすら自分を捻じ曲げてアイデンティティが失われていくのか。
まあいいか、私には関係ない。
でも、一人⚪︎⚪︎が文化として定着して、デジタルデトックスが流行って…
そこから流行った趣味もサウナ、ジム、ピラティス、編み物など…
どれも一人で完結するものなんだよな。
どんどん個が重視されるような時代になっているんだと思う。
現代人、やっぱりどこかで人と繋がりすぎてるのに疲れてるんじゃないかな。
だからどこかでバランスを取るためにデトックスしているんじゃなかろうか。
窮屈でも安心できるコミュニティ、居場所に再び帰るために。
さっきの「実家のような安心感」の話にも繋がるが、地方から東京に行きたがる若者が多い理由もこれで説明出来る気がする。
田舎だとご近所付き合いなどの繋がりが良くも悪くも強固だ。
つまり自分の一挙手一投足が誰かに監視されている感覚。
そういうしがらみから離れたくて、自由になりたくて東京を目指すんだろうな。
私が今コミュニティなくやっていけているのは、おそらく一人遊びの適性が異常に高いからだと思う。
幼少期から読書や人形遊びなどが好きな子供だった。
一人っ子だからというのも大きいのだろう。
希薄な関係の家庭環境だったのもある。
だから自分の世界が中心にあって、友達とかコミュニティというのはあくまでも世界を彩るためのアセットに過ぎなかった。
OSじゃなくてアセットだから、いらなくなったらすぐアンインストール出来る。
執着しなくても生きていける。
コミュニティ前提で生きてる人と、仕様からして違うのだろう。
自由な一人遊び。
少しさみしいけど私は今自由だし、世界というのは広い。
短い人生で遊び尽くせないほど、プレイフィールドは広い。
ただその命が尽きるまで、遊ぶだけだ。
こういった考察も遊びの一環なのだろう。
このサイトも、そういった一人遊びの記録なのかもしれない。
書きたい事が無いなんて言いながら、結構色々書いてしまった。
そろそろ起き上がってまた1日を始めるか。















