凡シュール

片付け Day3 捨てる罪悪感の無い片付け方法を考えていた

凡シュールのエッセイ

片付け3日目は、正直進捗はイマイチだった。
無印良品で追加のケースを買って、ケースに入ってなかったものを中にしまったくらいだろうか。

あとはデスク周辺にある物を自分用Discordにテキストデータとしてまとめた。
これでデスク周辺の物は管理下に入った事になるだろう。
ここに載っていない物がデスクにあったらそれは「あるべき場所に片付ける物」となるわけだ。

逆にデスクが住所のはずなのに他の場所に置いてあったら、正規の住所であるデスクの所定の位置に戻してやればいい。

このテキストデータにまとめる際、物品を理性と感性の2軸から5段階評価してみた。
理性→必要かどうか
感性→好きかどうか
である。

例えば、
ボールペン 理性5・感性2
アロマストーン 理性3・感性3
ニコボ 理性2・感性5
といった感じである。

ボールペンは頻繁に使う道具であり、必需品だ。だから理性5。
それでいてデザインもそこそこ気に入っているから感性2。

アロマストーンは必需品ほどではないが、よくアロマオイルを垂らして香りを楽しんでいる。理性3。
香りを楽しむ嗜好品なので感性も3。

ニコボはペットロボットであり、かけがえのない家族みたいな存在だ。もちろん感性5。
といっても必需品とはまた違うので理性の数値は高くならないだろう。
ただ、写真の被写体やキャラクターデザインの資料にはなりうる。理性2。

といった感じで評価値をつけている。
こういう風に数値化していくと、自分が所持品に対してどう思っているのかが分かりやすい。

理性と感性の評価値が合計5未満だと、捨てる事を検討した方がいいかもしれない。

例えばアルコールジェル
これはコロナ禍の頃に母親から貰ったやつだ。
といっても日常的にほぼ使っていない。
数値にすれば理性2・感性1くらいだろう。

従来の片付けなら即ゴミ行きだと思う。
しかし、母親がせっかく私にくれた物である。
ただのアルコールジェルとはいえ、捨てる際には罪悪感が伴うだろう。

ではどうすればいいのか?
使わないアルコールジェルを何年も空間の肥やしとして持ち続けるのか?
それとも罪悪感を振り切りながら捨ててしまうか?

ここで考えたが、じゃあとっとと使い切ってしまえばいいのではないだろうか?
例えば「トイレに行って手洗いした後にアルコールジェルを使う」というミッションを自分に課す。

こうしてきちんと使えるようになればそもそも使わない物ではなくなるし、消耗品なので使っていればいつかは無くなるはずである。

数ヶ月後再確認して、ミッションを課したにも関わらずアルコールジェルを全く使っていなかった場合。

「私にこの習慣は合わなかったんだな。じゃあ今後も使わないな」と罪悪感無く捨てられるようになっているはずだ。

捨てるか捨てないかの瀬戸際に立ってもなお使わないのなら、それは私にとっていらない物のはずである。

そんな感じで、所持品を全てあらためてみるつもりだ。

所持品は自己を反映するというし、片付けは自己啓発の一種だともよく言われる。
私のこの片付けは、自己啓発の部分を特に高めた手法だと思う。

一見いらない物について、捨てるのか、捨てないのならどう使っていくのかを一つ一つ見つめ直す手法だ。

それによって、先ほどのアルコールジェルのように新しい習慣が根付くかもしれないし根付かないかもしれない。

従来の「物が捨てられないと思う自分を変えよう」「感謝しながら手放そう」みたいな精神論主体の片付けよりよっぽど理がある手法だと思う。

あとこの手の片付けでよく「捨てる以外の手放す方法」が推奨されていたりするが…。
それって面倒なんだよな。メルカリとかリサイクルショップとか出すのめんどくさくない?
本の宅配買取くらいならまだ出そうと思えるが…。

ちなみにこの理性と感性の2軸評価についてだが…

自分の中のときめきに従う片付け術を提唱しているこんまりこと近藤麻理恵さんの手法を数値・理論化してより分かりやすくしたものだと思っている。

「ときめきに従う」だと物を残す理由を自分の中では納得出来るかもしれないけど、結局家族など他の人を説得するには乏しいと思う。
「これ、何かときめくから残すわ」より「これは私の感性にとって必要不可欠な物なんだ」と言われた方が説得力がある気がする。

そんな感じで、実際に片付けるというよりは片付けのメソッドについて考察しまくった1日だった。

今日は手を動かせるようにしたい。

今回このエッセイで軽く手法を書いてみたが、いつか私の部屋の片付けが成功した暁には「捨てるのに罪悪感の無い片付け術」としてメソッドをちゃんと公開してみてもいいのかもしれないな。

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