腰がバキバキだ。
連日座り作業をしているから仕方ないのだが。
気分転換に料理しようと思ったが、とっとと今の作業を終わらせたいという欲に負けた。
ようやく答えは見つかりつつある。
仮説は立てた。
あとはそれを自らの身を持って証明していくだけだ。
結局全てはシンプルな答えに行き着くようだ。
分解。単純化。
ごくごく単純な形に分解したうえで、アセットのように要素を追加していけばいい。
創作の技術への落とし込みも、結局英文読解と一緒。
自分の過去の模写を見ていたら、久々に絵が描きたくなってきた。
思ったよりたくさん描いていたらしい。
目に見えて上達していて、過去の画像を眺めているだけで面白かった。
完璧な作品だけが価値あるものではないのかもしれない。
試行錯誤、迷い、それら全てが一つの作品となりうるのかも。
このエッセイもそうだ。
エッセイ単体で見たら作品と呼べるかは怪しい。
ただ書き殴られた文章。
しかしこの文章をいくつも積み重ねる事で、思想の道筋となっている。
一人の人生の物語になりつつある。
迷い、葛藤、決別。
全てがある。
フレーズの完成度が全てではない。
フレーズが寄り集まった曲そのものに価値があるのではないか。
今や大人気のちいかわ。
ちいかわは不器用で泣き虫だ。
天才的なうさぎ、割と色々そつなくこなすはちわれと過ごす中でちいかわは少しずつ成長していく。
その成長を温かく見守るファンは多いはずだ。
これをあえてSNSで少しずつ更新していくナガノ先生。
成長物語とSNSってめちゃくちゃ親和性があると思う。
というかちいかわは、漫画の面白さも勿論あるのだが、成長物語とそれを見守るSNSとの親和性が高いのもここまで人気な要因なのではないだろうか。
ゴッホがここまで人々を魅了する理由も似ている。
もちろん他には真似できない筆致や独特の表現、才能も魅力的ではある。
しかし、ゴッホが順風満帆な人生を過ごしていたらここまで人気になる事は無かったかもしれない。
彼が苦難の人生を送り、それでも描き続けてきた事に人々は感動を覚えるのではないだろうか。
作品そのものというよりは、彼の生き様に感動する。
いや、生き様が作品で表現されていると言うべきか。
だからゴッホの作品は今も数々の人を魅了するのではないだろうか。
AIに迷いや葛藤は生み出せない。
彼らは常に100点を出してくる。
我々人間は0の状態から100点を目指し、徐々に成長していく。
目的地も人によって違う。
これが、人間にあってAIに無いものだ。
AI時代のクリエイターの生き残り戦略についてよく議論されているのを見る。
じゃあ完璧な作品のみを見せるのをやめて、成長物語を売りにしたらいいのでは?と思う。
物語は個人によって違う。
AIには決して再現出来ない。
結局は、弱さを見せる勇気が必要…という事なのかもしれない。
