2025年5月5日にnoteで公開した記事のリバイバル。
受験してよい学校に行き、よい会社に定年まで勤め、よい家庭を築く。
これがかつてよい人生とされてきたものだ。
そのためには受験戦争を勝ち抜き、出世の競争を勝ち抜き、会社が市場で評価されるための競争に勝ち抜く必要があった。
パートナー探しですら競争だったかもしれない。
合コンや街コンは競売みたいだし、出会い系やマッチングアプリはまるで市場のようではないか?
だが最近は主戦場が移りつつあると感じる。
SNSだ。
マーケティングでSNSが用いられるようになったのはもちろん、創作界隈の人間は大抵SNSで作品を発表する。
発表するだけでは足りないので、投稿時間や頻度を工夫する。
サムネイルに趣向をこらす。
なぜか?そうしないと埋もれるからだ。
自分が目立つようにアピールしなければ見てもらえない。
これを仕事でやってる人ならまだいいが、趣味でやってる人までこんな感じになっている。
つまり、SNSは戦場と化している。
創作界隈に限った事ではない。
推しをトレンド入りさせようと必死でポストする人たち、日々の何気ない発信でも注目を集めようとしている人々…。
カオスだ。
SNSを見ていて息苦しいと感じた事はないだろうか?
こんな戦場と化しているのだから、息苦しく感じて当たり前である。
その感覚は間違っていない。
こういったシステムになっているので、大半はどこかしら疲弊しているのではないだろうか。
疲れ果てた人たちが闇堕ちした結果が、毎日どこかしらで起きている炎上騒動なのではないかと感じる。
炎上に積極的に加担してる人々の心理を想像するに「競争ばっかでムカつく→その競争に勝ってるあいつがムカつく→揚げ足取って引き摺り下ろしてやろう」といったところか。
こうして見ると、炎上って行きすぎた制度や理性の押し付けに対する感性の反発、暴走なのではないか?とすら感じる。
現実社会の成功神話はもはや幻想だという事がバレた。
最近の若者が「大手に勤めて子供は2人、マイホームがある生活を目指してます!」なんて言っていたらずいぶん時代錯誤だなぁと思うだろう。
そして、かつて現実に居場所が無い人たちの避難所だったインターネットは、第二の戦場になった。
そこですら居場所が無い人たちはどこにいくか?
ゲームである。
ゲームといっても色々な楽しみ方があるわけだが、やたら成果主義だったり生活捧げるレベルでガチでやってる人を見た事はないだろうか?
この人全然楽しそうじゃないのに、なんでこんなにゲームやり込んでるんだろう?と思ったことは?
「ゲームは遊びじゃねぇんだよ」は有名なネットスラングだが、ガチでやってる人たちにとっては本当に遊びじゃないわけである。
存在証明。
もちろんみんながみんなそうではないが、そういう傾向の人は多い。
競争から離れてゲームをしているはずが、結局競争をしているわけである。
仮想現実。
これがゲームのガチ勢とエンジョイ勢の差である。
また、なろう系の異世界転生モノ。
いまや一大ジャンルとなったわけだが…。
主人公が現実世界で死んで異世界転生し、その異世界で無双するストーリーが主流だ。
ようするに転生して勝ち組になっていくサクセスストーリーなのである。
現実世界に絶望した人たちにとっての癒しとなりうるが、結局は競争から逸脱しきれていない。
競争から逸脱する流れといえば?
ここ数年のブームを思い返してみる。
何も起きない日常系漫画、編み物、園芸、ピラティス、サウナ…。
競争関係なく完結する癒しだ。
みんなやっぱり競争に疲れているのでは?と思う。
本気で競争を楽しんでいるのなんて、実はごく一部に過ぎないのではないか。
ここまで考えると、競争で心身を削るのがバカバカしくなってしまった。
ただの共感すら競争のダシに使われてるわけである。
結局SNSというものの構造が悪い気すらしてくる。
新たな避難所が必要なのではないか。