突然夫に「カレーイベントに行こう」と誘われたので行ってきた。
地域のカレー屋が出展しているローカルなイベントだ。
カレーと米は別売りで、米は現地で350円するらしい。
さらに持ち込みOKとの事なので、夫は朝から米を炊いていた。
謎に張り切っている。
現地は大盛況だった。
地域住民が集いまくっている。カレーを食べるために。
3種類くらいカレーを買って食べたが、三種三様でおいしかった。
カレーという料理の奥深さを感じる。
途中入っていた唐辛子の塊をうっかり食べてしまい、死にかけた。
下がヒリヒリする。「か、かれぇえええ〜」
手持ちのお茶を一気飲みしたがまだヒリヒリする。
「み、みずくれぇ〜」
夫は水と追加のカレーを買いに行った。
その時にライスのタッパーの蓋も持ったまま行ってしまったので、食いかけのライスだけを持ちぽつんと座っているなんだか残念な感じの人になってしまった。
しばらくして夫が戻る。私はぐびぐびと水を飲む。
そんな平和な日曜だった。
片付けは化粧品ボックスの整理とテキストデータ化、溜め込んでるノートの使い道を考えていたりした。
半端に残ってるノートが10冊ほどある。
過去の私は好きなジャンルごとに分けて日記を書こうとしていたらしい。
今考えると無茶でしかないのだが、当時の私はそれで気合いを入れて数冊ノートを買ったらしい。
結局数ページで挫折していたが。
これらのノートは…まあラクガキ用でいいだろう。
その旨もメモ。
使わないコスメも使わないノートもそのままだと空間の肥やしだ。
それらを捨てるのは簡単だが、別の活用法も考えてみる。アップサイクル。
「使えないとされていた窓際社員の特性を考慮して配置転換をしたら、思いがけない成果を発揮した」みたいな感じではなかろうか。
マネジメント。
片付けとは自分の所持品のマネジメントなのかもしれない。
所持品というのは、自分に貢献してくれる物だと言える。
日々の生活に欠かせない道具、見て楽しい気持ちにさせてくれる物…。
役割は様々だが、自分にとって何かしらの役に立つという点で共通している。
役に立つ社員はそのまま、役に立たない社員は別の部署で輝けるか模索してみる、それでも使い道が見出せなかった場合は泣く泣くリストラ。
片付けとマネジメントの思わぬ共通点だ。
そう思うと、人事部とは本来創造性が求められる部署なのかもしれないなとふと思った。
一般的な人事部というと、創造性とは真逆の印象があるが。
やれやれ。また日本の雇用形態システムの粗が見えてしまった。
新卒一括採用、面接のみで雇用するか判断する今の就職システムは時代遅れだなと思う。
面接という場。
自分がいかに社会に適合出来る人材かというのをアピールする場。
この場に感性というものは必要ない。むしろ邪魔である。
結果、面接を受ける人間は感性をひた隠し、社会適合者である自分を演じて売り込む。
そして採用後に職場と自分の感性のミスマッチに悩む。
最近の若者は特に、もう仕事に自分の感性を持ち込まない人間が増えていると思う。
変に昇進してやりたくもない管理職で責任感に追われながら生きるより、プライベートで副業をしてやりたい事で稼ぐ。
そういう考えの人間が増えてきているという事だ。
副業のハードルもだいぶ下がったし、わざわざ管理職で自身をすり減らしながら生きるよりは自分のやりたい事で金を稼ぎたいと思う人は多いだろう。
「職場で感性をひた隠しにし、仕事はあくまでも日銭を稼ぐもの。いつか副業の方だけで食っていけそうになったら、こんな会社辞めてやろう」
こんな考え方の人間が増えているのではないだろうか。
だからこそ何のメリットも無い職場の飲み会は堂々と断るし、上昇志向もない。
職場が生活の主軸ではないからだ。
それを「最近の若者は付き合いが悪い」「Z世代は上昇志向も根性も無い」と言うのはあまりに時代錯誤な戯言だろう。
そもそも感性をひた隠しにするのが美徳とされる今の日本の職場環境が異常である。
感性を押し殺して理性に適合させた人材を作り出していたが、これからの時代はAIやロボットなど、まさに理性最強の存在が台頭してきている。
つまり理性に適合させた人間はAIやロボットの劣化版に過ぎない。
ではAIに無くて人間にあるものは何か?と言うと感性である。
AIはそれっぽい感性を模倣する事は出来るが、それはただの模倣に過ぎない。
ピカソが既に存在している今の時代なら「ピカソっぽい絵」と指示すればそれっぽいものを出すが、ピカソの前の時代に「ピカソのような絵」を生成するのはまず不可能だっただろう。
そもそも「このままじゃまずい」と教育現場では子どもの感性を強く育てるような方針に移行してきているようだが、結局受験や面接のシステムがある以上、子どもは自分の感性と社会システムのミスマッチに苦しむだけである。
と、片付けから社会的な事にまで思いを馳せてしまった。
片付けしていると創作意欲やアイデアがどんどん浮かんでくる。
部屋という空間だけでなく、自分の思考も整理されているという事なのかもしれないな。