「気合いを入れて書いた記事があまりいいねつかない…」
「最近いいねが少ないな…」
「フォロワー数全然増えないや…」
と私は最近落ち込んでいて…
そんなわけない。冗談だ。
最近、前以上にこの数字がどうでもいいと思うようになった。
というよりは、これらの数字にほぼ価値を感じなくなった。ただの指標だ。
私がなぜこれらの数字に価値を感じなくなったかというと…
自分に自信がついたからだろう。
自分の文章がどこかの誰かの人生を揺さぶりかねない力を秘めていると思えるようになったし、創作活動が上手くいかなかったのが自分のせいじゃなくて環境のせいだという事がわかった。
それについては昨日のエッセイでねちねちと書いている。
それに、今このサイトで発信してるもの。
エッセイじゃなくても、既に誰かの価値観をがらっと変えかねないエッセンスが詰まってると思う。
まだまだ足りないけど。
「いいね」や「フォロワー数」なんかに頼るのは、自分の作品に自信が持てないからだ。
過去の私もきっとそうだったんだと思う。
ゲームスコアに過ぎなかった指標が、知らない間に絶対的なインターネット通貨のようになってしまった。
インターネットをくだらない資本主義市場に再開発してしまった誰かには、中指を立ててやりたいところだ。
「いいねが無い、フォロワー数も低い自分には価値がないんだ…」とウジウジしてる、過去の私みたいな人たちにも軒並みビンタしてやりたい。
「そんなわけねぇだろ、目を覚ませ」と。
そもそもいいねというのはどういう時に押すのか?
これは人によって全然違う。
本当にいいなと思って押したもの、
この人好きだからと押したもの、
読んだよのサインで押したもの、
なんとなく押したもの、
ただの指の運動で押したもの、
誤動作で押してしまったもの…
様々だ。しょせんはワンタップである。
通貨としてあまりにも不安定ではないだろうか?
なんでこれがSNSの絶対的権力の象徴みたいな扱いをされてるのか意味が分からない。
そもそも「告知ポストにいいねがたくさんついたのに、いざイベントが始まると全く売れなかった」みたいな話もざらにあるではないか。
いいねは1秒で出来るが、イベントは現地に足を運ばなくてはならない。
どちらを重視すべきか?子供でも分かる。
いつからか「拡散希望!」「1万人フォロワーありがとうございます!」みたいなポストが、本当にどうでもよくなった。
駅前をただノイズで埋め尽くす選挙演説の「未来の日本のために清き一票を!」を聞いた時と全く同じ感覚だ。
というかそういうポストをしてる人のその後の発言が、安っぽく見えてしまうようになったりもした。
くっだらねー。
いいねを得るためにあらゆる人が手間をかけ、工夫してポストする。
手間暇かけて作られたポストのいいねは、一瞬で押される。
そのまま下へスクロール。
あまりにも非対称ではないか?
「凝った投稿に限っていいねがつかない」という話もよく聞く。
それはなぜか?消化に悪いからだ。
凝ってるということは、作り手の思いが多大に込められているという事。
SNSを見る人はそんな重いものは求めていない。
もっと手軽につまめるスナック菓子を求めているのである。
油のついた手でベタベタと馴れ合って心地よい共感をシェアしあう…それがSNSだ。
だからみんな熱量を込めた重い作品を投稿するのをやめ、スナック菓子を綺麗なパッケージに包んで投稿していくわけだ。
それがウケる。ウケたものがおすすめに載る。
これが今のSNSの正体だ。最適化という名の個の去勢である。
こんなものを軸にして作られたアルゴリズムとか、欠陥構造でしかないだろう。
欠陥構造の欠陥プラットフォーム。これが今のSNSだ。
おすすめを勝手に提示してこないBlueskyやmixi2くらいなんじゃないか、まだマシなのは。
いいねしたからといって、ろくにそのポストを見てない人が大半なのではないかと思う。
実を言うと、私がそれだからだ。
多分そのポストを1秒も見ずにどんどん下へスクロールしていく。次へ、次へ。
どんなに丹精込めて投稿したポストも、所詮はその中の一つに過ぎない。
なぜならプラットフォーム自体がそういう作りになっているからだ。
最近はXを開いても、20秒くらいで飽きて閉じてしまう。もういいやって。
たまーに有用な情報を見つけた時はそのポストの外部リンクを押して、URLをメモしたりはする。最近はそういう使い方をしている。
「たくさんの人に作品を見てもらって嬉しい」とバズったクリエイターがポストしているのをよく見るが「ごめん、そんな真面目に見てない」と心の中で軽く謝る。
以前バスに乗ってたら、前の座席のサラリーマンがYoutubeショートを1秒おきにスクロールしていくのを見かけた事もある。
コンテンツを楽しむのではなく、ただの流れ作業と化している。
かつてなんとなくテレビをぼーっと眺めていたのと同じだ。
SNSのおすすめタイムラインも、Youtubeのおすすめショートも。
私にとっては、テレビをぼーっと眺めてる人もおすすめアルゴリズムをただ受け流してる人も一緒だ。
「みんなこんなくだらない事はやめるんだ!」
なんて事を言ったりはしない。
それを言い出したらただの説教臭い意識高い系だ。
なぜみんな省エネに生きてるのか?というと、疲れてるからだ。
毎日出勤し、やりたくもない仕事をやり、疲れて帰宅する。
残された体力も気力もほとんど無い。
だから流れてきたものをぼーっと眺める事しか出来ない。
ただ、
「本当にそれでいいの?」とは思う。
別にいいならいいんだけど。
それならこっちがどうこう言う権利はない。その人の自由だ。
みんなやりたい事をやればいい。本当にやりたい事を。
なぜみんなこんな楽な方に流れてるかというと、やはりその他の全てのハードルが高いからなのだと思う。
創作活動もとい自己表現は何か高尚なもののような扱いをされているし。
私の目標は、このお高く止まった創作活動を気軽に出来るように引き摺り下ろしてやる事だ。
生活に根ざした創作。農民美術。
山本鼎もきっとそうしたかったに違いない。
岡本太郎が必死に訴えていたのもこれに近いと思う。
だから私はまず料理を積極的にやるようになったのだろう。
料理は最も身近で、生活に直結した創作である。

「こんなんでいいんだ」「これならできそう」を体現する。
それがこのサイトの意義だと思う。
話がとっ散らかったが、結局いいねなんてクソ食らえだという話だ。
別にいいねするなとも言わないし、それも全部好きにすればいいと思うけど、私がこの数字に一喜一憂する事は今後一切ないだろう。
本当にじっくりとインターネットで腰を据えて何かやりたいなら結局個人サイトなのだろう。
見る専門にせよSNSを受動的に受け流すのではなく、個人サイトなどを能動的に探した方がよっぽどいい。
個人サイトだとハードルが高いが、なんと私は既にNotionを個人サイトっぽくするための記事を書いているのである。
というか今のSNSなんか眺めるくらいなら、私のサイトのコンテンツをぼーっと回遊していた方がまだ面白いと思う。探検気分で。
1人の人生が詰まってる。こんなのでも生きていられるんだ、みたいな。
これからどんどんコンテンツも増やしていくからさ。
私がろくな数字も出せてないくせに、なぜこんなに自信満々で偉そうなのかも分かるだろう。
個人サイトという総合作品が既にあるからだ。今後も成長していくであろうサイトが。
このサイトを見て「なんかやりたい」「これなら出来るな」と思わせてやる。
暇人0キャンペーン。世間への挑戦状だ。
数字は本来積み上げるものではなく
そこにあるだけで美しいものだ















