旅先のため、今日はスマホから書いている。そのため少々見づらくなっているが、帰ってから直すつもりだ。ご了承願いたい。
→ちゃんと直した。
移動中でデザインの考え方についての本を読んでいた。
結局、新しい物を生み出すには常識を疑う力が必要なようだ。What力。
私はおそらくWhat力の方はもう死ぬほどあると思う。
私はこの1年ほど、疑問を抱いたらAIに投げつけ、帰ってきた返答を見てより思考を深めるという事を繰り返していた。
さらにはそのアウトプットとして毎日何かしらのエッセイを書き起こしていた。
これ以上ないWhat力のトレーニングだったのではないだろうか。
毎日エッセイを書き始めてからもうすぐ1年になる。
その間、私の喜怒哀楽、他にも様々な理性と感性をエッセイに宿してきた。
その度に目に見えない成長をし続けてきたのかなと思う。現在進行形で。
今回の旅は6年前に行った場所の再訪だ。
再訪になったのはただの偶然なのだが、6年前の自分と今の自分をそっと重ね合わせる。
あの頃の私は今よりもよっぽど未熟だった。
世の中のあらゆるものに翻弄され続けていたなと思う。
この6年間、私の感性は磨耗したり呼吸困難で死にかけたりを繰り返していた。
その軌跡はこのサイトにも残している。
今の私からしたら考えられないほど、醜く足掻いていた痕跡がそこにある。
痛々しいくらいに。
普通はこういうものは消してしまう人が多いのかもしれないが、私はこれは消してはいけないものだと思った。
いや、データとして消したところで、私の中では残り続けているもの。
というかあの頃のボロボロだった自分がいてこそ、今があるのだと思う。
構成要素であり、細胞のようなものだ。
どんなに今後飛躍しようが、かつてはただただ翻弄されていたという…証拠。
カルマのようなものなのかもしれない。
これは私の弱みでもある。
だが弱かったからこそ、私は強さを手に入れた。
強さを手に入れないと消滅してしまう、そのくらいの死活問題だったからだ。
人類…すなわちホモ・サピエンスが、身体能力は弱いのに脳を発達させてここまで発展してきたようなものだ。
いや、この比喩は少し壮大すぎるかな。
感性がボコボコにされ続けた結果、私は自分…あるいは誰かの感性を守るための「さいきょうの盾」を手に入れたのだと思う。
本当に最強かは分からないが。
でも少なくとも、6年前の自分には持ち得なかったものだ。
言語化能力。
特段、語彙が増えたとか文章構成が上手くなったとかそういう話ではない。
感性の言語化。
抽象的な感性というものを言葉に紡ぐのが、前よりは得意になったという自負がある。
私は、変わってないけど変わった。
これまでの人生で私はたくさんの人に迷惑をかけて生きてきたと思う。
ハローハロー、今までお世話になったたくさんの皆さん。
そのほとんどが疎遠になってしまったが。
おそらく過去の私しか知らない人が今の私を見たら、かつての私とは別人のように思うかもしれない。
どうだろうな、その答えを確かめる術は無い。
もうその人たちに連絡する機会も無い。
いや、きっと連絡しようと思えば何かしらの手段はあるのかもしれない。
でも無理にそうしようとも思わない。
ただ人生の一部分で交差して離れた…それだけなのだから。
きっとみんな今もどこかで自分の人生をやっているのだろう。
この同じ世界で。
これからの私がやるべきなのは、答え合わせ。
証明活動なのだろう。











