凡シュール

ヘタでも楽しい

凡シュールのエッセイ

2021年3月30日にnoteで公開した記事のリバイバル。

今の私からしたら「何言ってんだお前」って感じの文章だが、当時の私はとにかく迷子だったんだろう。

そもそも上手いとか上手くないの評価軸がおかしいだろうが。乗せられてるよ。

イラストレーター、Youtuberでも有名なさいとうなおきの本が発売されたので読んでみた。

タイトルは「うまく描くの禁止」

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内容はイラストレーター向けの自己啓発本のような感じで、結構良かった。

うまさとは

イラストは当然うまく描けるようになりたい。

絵を描くほとんどの人がそう思っているだろう。練習に励んでいる人もいる。

私もそうだ。

”うまく描く”とはどういうことだろうか。

私は模写はそこそこ出来る方なのだが、たまにオリジナル絵を描いてみて自分のヘタさに絶望する時がある。

頭ではいい感じの映像が浮かんでいても、いざ描いてみると「これじゃない…」となるわけだ。

頭の中の映像を具現化する表現能力が足りてないのだろう。

ただ、技術だけ高めればいいのか?というとそれも少し違う気がする。

もちろん技術もあるに越した事はないだろうが。

例えばすごいグラフィックのゲームや映画でも、何だかグラが凄いだけで心に響かないな…という事が多々ある。

イラストなんかだと巷にうまい人はたくさんいる。

正直”うまいだけ”の絵ならそこらへんに埋もれるんだろうなと思う。

ぶっちゃけ技術的にヘタでも、妙に心に響く絵だってある。

絵が多少ヘタでも多分配色とか構図とか工夫のしようはある。

そもそもヘタでも

よく絵がうまく描けなくて描くのが嫌になるという人もいる。

でも絵ってうまく描けないとダメなのか?

いや待て。

幼少時。誰しもが絵を描いていた頃。

当然へたくそだったはずだ。

それでも絵を描くのは楽しくて楽しくて仕方なかった。

じゆうちょうにへたくそな絵を描きなぐっていたはずだ。

変なキャラクターだって適当に作り出していた。

私もへたくそなウサギとか動物のキャラを色々創っては描いていた気がする。

絵以外でも

そもそも絵に限った話ではない。

例えばカラオケ。

カラオケが好きな人は多いと思うが、大抵の人は歌がうまかろうがヘタだろうが楽しんでいるはずだ。

私は最近ウクレレを練習している。

弾き語りの真似事なんかもやっているのだが、まあへたくそだ。

それでも夢中になって弾いていると、1時間くらいは平気で溶ける。

ヘタでも楽しいという事は無限にあるものだ。

そしてそう思える事こそ自分に向いている、かけがえのない趣味なんじゃないかなと思う。

とはいっても

この話はいわゆる「初心の楽しかった頃を忘れるな」という話なのだが、そううまくはいかない。

大抵の人はうまく出来なかったりしたらやっぱり「うまくなりたい!」と思うものだし、上達に伴う苦しみも抱えるはずだ。

私もそうだ。

やっぱりうまく出来ない、からのモチベーションが下がる事だって多々ある。

そんな時どうするか?

一度離れるという手もあるが、それでも続ける事も実は大事なのかなと思う。

上達を感じられなくても、楽しく感じられなくなっても続けられるかっていうのは意外と大事な要素な気がする。

離れるもよし、続けるもよし。選択はその人次第だろう。

嫌になりながら続けていても、結局それが好きならそのうち楽しさを思い出せる時が来ると思う。

その時は成長というご褒美も付いてくるだろう。

ここまでくるとそれはもうかけがえのないものになっているはずだ。

結局何が言いたいか分からなくなってしまったが、ヘタでも楽しいと思えるものはかけがえのないものだし、仮に楽しめなくなってしまっても続けていたらまた初心を思い出す時だってあるかもしれない。

私が書いているこのnoteの文章だってそうだ。

正直今は乗り気で書いていない。上手く書けている気もしない。

それでも書き続ける。楽しくないけど楽しい。

なんだかんだ文章で感情の吐露をするのは好きだし、またいい文章が書けた時はきっといい気分になるだろう。

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