凡シュール

ほとんど何もない人の戯言

凡シュールのエッセイ

2021年6月12日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

純粋だった私が徐々にキレて文句言いだした頃、といったところか。

世の中の不条理さに対する怒りが根底にあるような文章。

最近また少し、他人が羨ましいモードになっている。 才能に秀でた人、何かを上手くこなせる人。何かに詳しい人。 他人の芝が青く見える。みんな私なんかよりよっぽど優れている。 何が違うんだ?

他人と比べてしまうと、自分なぞ何もないような気がしてくる。 何もないは言い過ぎか。ないことはないけど… しかし、じゃあ何があるのかって言われたらわからない。 どれをとっても中途半端。そこそこ出来るだけ。THE器用貧乏。

自己肯定感が低いってやつなんだろうか。

とはいえ正直、最近は自己肯定感すらどうでも良くなりつつある。 わざわざ自分を肯定する必要なんかあるんだろうか。 今自分を肯定していようがいまいが、どうせ100年後には棺桶の中である。

長いのか短いのかすらよく分からない人生。 その中で何かを成し遂げなきゃいけないと思い込んでる人が多いこと多いこと。 ご立派なこった。成功?勝ち組?あほくさ。

いよいよ猫みたいなメンタリティになってきたような気がする。 やりたい事だけやり、寝たい時に寝て過ごす。日が過ぎていく。 にゃーん。吾輩は猫である。

ここまで自分に言い聞かせてきたけど、やっぱり自分の出来ない事が出来る人を見るともやもやする。 優れていたり評価されているのが羨ましいというよりは「そんなに思い通りに出来たらさぞかし楽しいんだろうなぁ」という羨望か。

曲が作れない自分。オリジナル絵が描けない自分。ゲームが下手な自分。小説が書けない自分。楽器が出来ない自分。話下手な自分。英語が話せない自分。毎日noteすら途切れる自分。

出来るようになりたいのに出来ないことばかりだ。 ご立派な世間の方々はこう言うだろう。 「出来ないなら出来るようになるまで努力すればいいじゃない」 それはそうだ。んなこたわかっとるわボケナス。 貴様はマリー・アントワネットか。

こっちの言いたいのはそういう事じゃねえんだ。 手ならとうに動かしてるさ。

こんな事が言える奴は、”どんなにやっても袋小路に迷い込む”苦しみを知らないのだろう。 「自分にはこの才能がない、向いてないのかもしれないな。これもやってみよう」 そうやっていろんな事が中途半端に出来るようになっていく。 だが結局は袋小路にハマる。 別の道を探しても結局は行き止まりに突き当たる。壮大な迷路。

この道もその道もあの道も捨てたわけじゃない。 何とか壁を壊せないか足掻き続けてはいる。だがそうやすやすと壊れるものではない。 そういった捨てられない道がいくつもある。全部壊そうとする。どれも中途半端。壊れない。 「この壊し方で合ってるのか?」つきまとう疑問符。

分かるか?この苦しみが。 そんな状態で見る、まさに行きたいエリアで楽しそうにしている連中への嫉妬が。 その人達だって苦労なしでそこにたどり着いたわけじゃない。 一つの壁にぶつかっても懸命に壊し続けた結果だ。それは並々ならぬ事だろう。

尊敬と嫉妬。 相反する二つの感情がふつふつと沸き起こる。 ぐちゃぐちゃ。

そんな楽しくも腹が立つ毎日を過ごしています。

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