昨日は書き溜めていたNotionサイトの記事を公開した。
「個人サイトってドメイン取ったりサーバー契約したりめんどくさいんでしょ?」という常識を壊すいい記事になったなと思う。
SNSの承認欲求合戦に心底うんざりしている遭難者たちへの灯台になればいいな。
今のSNSを改めて俯瞰してみると…
ビラ配り会場に見える。
ビラのクオリティはピンキリ。
私は情報収集としてこのSNSという場にビラを貰いに行く事はあるが、そこまで熱心ではない。
大抵一度に2〜3枚だけ貰って帰る。
貰って帰った後は情報としてまとめる時もあるし、貰ったまま忘れ去る場合もある。
大半は記憶のゴミ箱行きだ。
ビラとはそういうものだ。その程度でしかない。
私自身は、最近SNSではこの個人サイトの更新通知くらいしかしていない。
決まった場所にビラを設置しておいて、毎日新しいものに入れ替えるようなイメージだ。
ただのルーティーン。
ビラ配りに精を出している人たちがいる。
SNSのいいねは、いわばビラを配った枚数だ。
なぜかみんな配った枚数を誇らしげに自慢し合っているが、ビラはビラである。
あと「とにかく配られているチラシを全て貰おう」と頑張っている人もいるが、たくさん集めたところでチラシコレクターにしかならない。
結局はチラシ→何らかの現実の行動…
例えば知らないゲームを発掘して遊ぶ、知らなかったスポットに行ってみる、知らなかった映画を見るなど…
現実の何らかの行動に繋がらなければ空虚な情報マニアでしかない。
「なんか良さげなチラシだし貰っておくか」
少なくとも私はこのくらいのテンションである。
いいねにそれ以上の意味は無い。
正直こういう人が多数派だと思うし、ビラを貰うという行為にそれ以上の重みは無い。
私自身がこのスタンスなので、いいねをたくさん貰ったところで「今日のチラシは結構配れたな」くらいの感覚でしかない。
チラシを配るだけでは意味がなく、その目的…
つまりサイトに来てもらって初めて達成感を得る。
いいねが100個積み上がったところで、サイトの1アクセスの重みには勝てない。
が、ビラ配りに思い入れを持ってやっている人もいる。
でもどんなに一生懸命作って配ったところで、ビラはビラである。
凝ったビラも、適当に作ったビラも、同じビラとして扱われる。
精を出すのは自由だが、きっかけ一つで全てが崩壊しそうな危うさがある。
と、SNSをビラ配りの比喩として語ってみた。
ビラなんだから、どんなに粗雑に扱われたところであまり気にならない。
このくらいのスタンスでいる方が精神衛生上いいと思う。
それもこれもSNSとは別に活動の拠点を置いていて、SNSをただのビラ配り会場としてしか見ていない人間の余裕の表れなのかもしれない。
こうして俯瞰して見ると、SNSが疲れると言われる理由もよく分かる。
永遠に、かつ矢継ぎ早にチラシを手渡されているようなものだ。
自分の足で歩くこともままならない。
冷めた視点でSNSというものを観察し続けている。
なんだか文化人類学のフィールドワークをやっている気分だ。
社会の縮図みたいになっているので、観察対象としては面白いと思う。
ビラビラ書きすぎてゲシュタルト崩壊してきた。











