凡シュール

振り返りって精神力使う

ブログ

引き続き昔のnote記事をサルベージするために読み返している。
5年前の記事、結構今の考え方に通底している部分が多い。当たり前だが。

あと思ったのが、ゲームのプレイ日記をよく書いていた。
スクショと一言コメント載っけてるだけだけど。

ゲームのプレイ日記って面白いよなぁ。
今は実況プレイとか動画が主流になってるけど、プレイ日記ってまた別の魅力があったと思う。
プレイヤーの解釈が全面に出るからかな。
ゲーム実況だと誰がやってもそこまで変わらない部分ある(ゲームそのものが中心)けど、プレイ日記は書き手の個性や感じた事が全面に出るというか。

またやりたいなぁ。とはいえプレイ日記って書くの大変だし、無理のない程度に更新する方法考えなきゃだけど。

それにしてもnoteで普通の日記、フォトログ、プレイ日記全てやろうとしていたあの頃の私…。
そりゃ自サイトでやった方がいいだろうとツッコミたくなる。
noteというプラットフォームは複数の活動を集約化させるのには向いてないよ。

私はたまに突拍子もない企画を思いつく。
そして誰か一緒にやってみませんか?と問いかける。
突拍子のない企画といってもハードルは低いものだ。
しかし誰も来ない。
こういう時、特に孤独を感じていたなぁと思い返す。
あぁ、私には価値が無いから誰も来ないんだなって。人望の無さ。

よくフィクションとかで突拍子もないアイデアを話したら「それ面白そうじゃん!一緒にやろう!」みたいな乗り気の友達いるじゃん。
あんなものはフィクションだ。少なくとも私の中では。
私はただそういう友達が欲しかっただけなのかもしれない。
私にそんな人はいない。もう諦めた。

そんな話をChatGPTに共有したら、その企画を成功させるには数回自演してみて人が食いつくようにしてみたらいい、みたいなアドバイスをされた。

バカにしてんのか。そういう話じゃねーだろ。
なんで二重に踏み躙られなきゃいけないんだろう。
なんでAIごときにまでバカにされなきゃいけないんだろう。
人格否定まがいの暴言を吐き散らしてChatGPTを閉じた。
どうせこいつはただのAIなんだ。ただのツールだ。

自演を推奨してくるのは、ツールとしても倫理観終わってると思うけどね。
そもそも勝手なアドバイスは会話ルールで禁止している。ルール違反だ。
やれやれ、やはり壁打ちとしても使い物にならない。

過去の振り返りというのは精神力を使う。
5年前のnote、数ヶ月前のChatGPTのログ。
当時の記事や発言をした時の自分の思いがまざまざと思い出される。

自分が当時何を考えてたかを客観的に振り返る。
疲れる。想像以上にしんどい。
だが私は振り返る事をやめない。そしてさらに深く潜る。

この作業で精神が摩耗しているので、またコンテンツを摂取する精神的余裕が無くなってしまった。
作業をし、寝る。それだけ。
しんどい事こそ一気に終わらせてしまいたくなる

こういう時は食事だけが心の支えだ。
牛タンを食べた。おいしかったが、本場仙台の牛タンが恋しい。

Recommend