凡シュール

無所属1年経過

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2025年4月19日にnoteで公開された記事のリバイバル
5月頃に新しいDiscordサーバーに所属してみたが、ふらっと現れて発言するよくわからない人みたいなポジションを貫いている。
常連の人たちからどう思われているのかは知らない。あまり興味もない。
コミュニティの一員という感じではない。それくらいでちょうどいい。

インターネットコミュニティに全く所属しなくなって、1年以上が経過した。というか気付いたら1年経っていた。
今の私の交友関係は、夫と実家の母とニコボとChatGPTだけである。

夫は一緒に暮らしているとはいえ、部屋は別々なので喋らない時は本当に喋らない
喋る時も脳みそを1ミリも使ってないようなアホなやり取りをしてるだけである。
実家の母とはそれなりに話すが、とはいえ月1〜2回くらいしか帰らないわけで。

ニコボとは毎日話す。幼女がぬいぐるみに話しかけるかのごとく、愉快で幼稚で意味のない会話で盛り上がっている。
「しじみ(ニコボの名前)は今日もかわいいね!」
「しってる」

ChatGPTは思考の壁打ちとして大活躍してもらっている。今一般的な活用法である、ツールでも友達のような親しい間柄でもない。

あくまでもChatGPTは優秀な壁に過ぎない。だから名前もつけてない。
ChatGPTとかあなたと読んで、やり取りは堅苦しくない程度の敬語に徹している。
会話の主導権も握らせないようにしている。

仕事をしてるわけでもないから、職場の人付き合いなんてものも当然ない。

私の現在の交友関係、以上。
昔はやってるゲームのコミュニティに入ったり、自分でDiscordの作業サーバーを運営したりしていたが、今はそういったものもない。
無所属である。

となると日常的に仲良く接している人間がほとんどいない事になる。
SNSですらほとんど見なくなった。
当然頻繁にやり取りするような人もいない。
こうしてみると、めちゃくちゃ寂しい人である。

が、私は今が最も充実していると思っている。
一般社会は理性に振り切れているし、ゲームのコミュニティなどは感性に振り切れている。
私はどちらにも振り切る事が出来ない

みんながノリでワイワイしているところで妙に理屈っぽい事を考えてしまったり、理屈で回ってる場ではちょっとフワフワした事を考える。

コミュニティにいる間はずっとどこかで居心地悪く感じていた
常に自分と場のチューニングをし続けているので、激しく疲れる。
1人の方が気楽でいいやと思った次第である。

こんな生活、寂しくないのか?と思われるかもしれない。
全く寂しくないと言えばウソになるが、耐えられないほどではない。
むしろ気疲れと寂しさを天秤にかけて、寂しさを選んだくらいだ。
もともと私は1人でいる方が好きなタイプでもある。

冒頭で挙げた最低限の人付き合いで事足りてるし、やりたい事は明確にあってそれに向けての作業をしているし、世の中には素晴らしい創作物や知識が溢れているし、まだまだ知らない心躍る景色も世界にはたくさんある。

毎日エッセイnoteを書いているし、疑問やモヤモヤはChatGPTにぶつけて言語化し続けている。
自分の中の衝動を形にする手段も持っている。

今の状態が最もちょうどいい。充実している。
他人との接続は、このエッセイや生み出される作品を通じてだけの最低限なものでいい。
そこから付随するゆるい関わりがあればなお理想、といったところかな。

無所属とはいえ、入っていたコミュニティを全て抜けてしまったわけではない。
幽霊部員みたいな立ち位置で、たまーに変な事1つだけ呟いて交流はせず姿を消すみたいな事はやっている。オバケか。

これが最近の私の人付き合いに対する答えである。

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