2025年4月28日にnoteで公開した記事のリバイバル。
ようするに「都会、チルスポット無さすぎじゃね?」みたいな話。
都会は情報量が多すぎる。
ギチギチとした家々、看板、標識、たくさんの車、人間。
あれもこれもある。ありすぎる。
つまりは余白が無い。
都会の人間が田舎に惹かれる理由は、まさにこの余白の有無である。
反対に、ずっと田舎にいるとスカスカの情報に飽きてしまう。
だから田舎の人は都会に憧れる。パラドックス。
余白不足。
都市デザインの失敗では?とすら思う。
そして田舎の人間は、なぜ都会の人間が地方にわざわざ来るのか、本質的に分かっていない。
余白を求めて来ている客に対して「ご当地グルメ!」「観光名所!」みたいな情報を与えようとしている。
情報には飽き飽きしているのに。
ご当地グルメといったって、いまや東京にいれば何でも食べられる時代。
都会ではご当地物産展も頻繁にやっているし、ご当地グルメが食べられる店が東京に出店してたりする。
もちろん現地の新鮮な状態の方が安くうまい。
そういった現地ならではの利点はあるはずだ。
この戦略そのものを否定するわけでもない。
ただ、どこもかしこも同じ事をやりすぎである。
まあそれは本質的な問題ではない。
余白。余白をくれ。
息切れしそうな魚に、新鮮な空気を。
都会と田舎に限った話ではない。
都会だって、あえて情報量を削ぎ落とした場所があればエアスポットとして案外流行るかもしれない。
もうショッピングモールは見飽きた。
どこも似たようなものだ。新鮮な驚きなど何一つない。
情報量を求める時と、情報を全く頭に入れたくない時。
使い分けさせてほしい。