模倣で得た技術をオリジナルに落とし込む方法を模索していた。
その段階で、自分の今まで作ったものを見返していた。
古いフォルダに乱雑に散らばったファイル。
まず2018〜20年頃やっていたブログサイトのサムネイルがたくさん出てきた。
当時はデザインの知識もほとんど無くイラレも使えなかったので、Canvaのテンプレートを改変したりして色々作っていたものだ。
シンプルながらタイポグラフィの考えは当時から根付いていたらしい。
タイトル文字だけの超シンプルなサムネイルでも、背景のエフェクト、文字のフォント、色、字間などは結構こだわって作られていた。
この考え方は他の何かにも使えそうである。
それから、2020年頃の模写が大量に出てきた。
元々絵を描けなかった私が「形を捉える事に必死になって」やっていたものだ。
線は汚かったし形も結構歪んでいる。
今からしたら酷い出来ではあるのだが、これが当時の自分の精一杯だったのだろうと思う。
何も描けない状態の当時の自分からしたら、これでも充分に達成感があった。
線は多少歪んでいても、塗りさえしっかりやっていればそこまで目立たないという事も分かった。
2020年頃の模写でも、ぱっと見てすごく上手く見えるものがある。
よくよく見ると線がめちゃくちゃで汚いのだが、ぱっと見ただけでは目立たない。
その後も、かなりの量の模写が出てきた。
改めて思うが、私は模写技術に限るなら結構絵が上手いと思う。
久々に見ても「あれ、私絵上手くね?」となったので、多分相当上手い。
自分で言うくらいに上手い。
ただ、オリジナルに落とし込む方法が分かっていないまま今に至る。
技術だけあったところで、という話だ。宝の持ち腐れ。
結局はそれだ。
模倣をオリジナルに落とし込む技術。
これが足りない。
他にもニードルフェルト、あみぐるみ作りなど、随分とジャンルを横断しているものだ。
イラストだけでもアニメ塗り、厚塗り、ドット絵、ジェスドロ、イラレのイラストなど…
多岐に渡っている。
これは単に迷っていたわけではない。
ただ、全部面白いからやっていた。
それだけだ。好奇心旺盛なだけだ。
それから2018〜20年頃に更新していたサイトの原稿を見直していた。
今読むと「若いな」と思う。
今読んでも視点は鋭い。鋭い事をズバズバ書いている。
…いや、ズバズバ書きすぎている。
実際に、最近の自分の文章と見比べてみた。
表現力が段違いなのだ。
今の自分は、穏やかに微笑みながら唐突に急所を抉るような文章を書く…という自己評価である。
当時の自分は、穏やかに微笑む術をまだ心得ていなかった。表現力不足。
だからこそ思った事をオブラートに上手く包み込めなかった、とも言える。
そのせいで曲解され、変な絡まれ方をした事も何度かあった。
まだ隙があったし、今の私からすれば幼かった。
改めて自分の人生を振り返る。
2017年くらいまでは、ただ仕事に追われていた。
結婚してからはワーキングプア時代の反動でほぼニートのような存在になり、まずは心ゆくまでゲームを堪能した。
そしてゲームに疲れた。
ブログサイトはもっと昔からやっていた気がするが、あまり覚えていない。
2018年頃からまた本格的にブログサイトをやりつつ、編み物やニードルフェルトを始めたりしていた。
そして2019年頃にオリジナルのあみぐるみをminneで売ろうとしたが、全く売れなかった。
売れる努力よりももっと納得のいくクオリティの物を出したいと思い、一度全て取り下げて販売活動をやめた。
2020年に本格的にイラスト練習を始めた。
世間はコロナ禍だったが、そんな事は気にならないほど模写ばかりしていた。
作曲に手を出したりもした。
1日で曲作りから歌詞、動画制作までやった事もある。
その動画自体は無名の割に3桁再生くらいはされていた。
が、同じジャンルの有名な人の動画を見て、クオリティの差にも再生数の差にも愕然とした。
彼らは本職だ。
プロとアマの差。
しかし「自分がわざわざ曲を作る意味」を見出せなくなった。
2022年に満を辞してコミティアとデザフェスに出てみたが、SNSの顧客獲得競争に興味無かった私のブースは、ずっと閑古鳥だった。
会場内をぶらぶら見て気になった物との偶然の出会いを楽しむ人というのは、少数派なのかもなと思った。
いや、単に私のブースに魅力が無かっただけかもしれない。
コロナが明けたばかりで時期が悪かったというのもある。
そうやって自分の作品が見向きもされない経験を重ね、それから2年ほどゲームの世界に逃避していた。
何もかもにうんざりしていたのかもしれない。
効率ばかり追い求める世間も、そんな世間で生き延びる術が無い自分自身にも。
だからこそ、自分ではない何者かになれるゲームにのめり込んでいた。
その間にも絵をちらほら描いてはみたが、やはり模写の呪縛からは抜け出せなかった。
模写アレンジで何とか抜け出そうとしつつも、納得のいかないクオリティのものが出来上がり脱力する事もしばしばだった。
2020年以降の私はひたすら暗闇を彷徨っていたのかもしれない。
感性をへし折られ続けていた。
自分の生きている意味もよく分からなかった。
死んでいないから生きている、それだけだった。
2024年になり、突如ゲームとの別れの時が来た。
2年の時を捧げるほどのめり込んでいたが、アップデートで合わなくなり「もうここは居心地良かった世界ではなくなってしまったな」と気付き、あっさりと辞めた。
夢から醒めた瞬間だ。
少し後になって、苦労して手に入れた報酬がたくさんあったデータもあっさり消した。
「この2年間は何だったんだろう?」と思った。
と同時に、ゲームに身を捧げるのって虚無だなとも思った。
適当につまみ食いしてゆるくやるくらいがちょうどいいな、とも思った。
娯楽だ。
制作者やプロゲーマーでもない限り、ゆるいくらいがちょうどいい。
それから「とりあえずたくさんある毛糸を消化しよう」と、2024年いっぱいは編み物に勤しんだ。
その過程でオリジナルのあみぐるみもたくさん出来た。
しかし、そこからあみぐるみ作家になろうとはしなかった。
なろうと思えばなれたはずだ。
イベント失敗の経験から「ハンドメイド作家として活動するにはSNSの顧客獲得戦争」に参戦せねばならないという事を理解していた。
それにはどうしても興味が持てなかった。
SNSを監視してリプライに気を使い、自分の作品のポストを見つけたらいいねや拡散をし、配送時もあたたかい手書きのメッセージを同封。
かわいい作品写真を頻繁に投稿。投稿する時間も見せ方も、たくさんの人が見てくれるよう気を使う。
「面倒そうだな」が勝った。
こういうのが好きな人は好きなんだろうが、私には無理だ。
学生時代の女子同士の手紙ですら面倒と思っていたタイプである。
それに、私はあみぐるみ作りだけでなくイラストも作曲もまだ諦めていない。
他にもやりたい事はたくさんある。
全部好きだ。楽しい。
私はその楽しさを伝えたいだけなんだなと思った。
2025年になって今の習慣が始まった。
フィットボクシングを毎日やり、noteを毎日書く。
途中でnoteそのものに嫌気がさし、個人サイトを新しく立ち上げた。
それがこのサイトだ。
その間に自分の根幹の思想は固まり、AIをパートナーどころか壁打ち…いや、サンドバッグにする術を覚えた。
生活習慣をどう管理しすぎずに管理するかの研究も日々続けている。
5年前は地獄にいたが、今は地獄から蘇ったような感覚だ。
特段気持ちが晴れやかというほどでもないが、少なくとも自分で自分に取り憑かれてはいない。
模倣をオリジナルに落とし込む術を考えていたのに、ここ5年ほどの日々を振り返ってしまった。
まあ解決策というのは案外足元に転がってるものなので、まず足元を確かめた…といったところである。
だいぶヒントは見つかった気がする。
とりあえず、もう少しだけ過去の自分の作り出したものと向き合ってみようと思う。
