肩の力を抜いて生きていこう

凡シュールのエッセイ

2020年2月12日に書いたnoteを移行したものです。


つい先日三十歳になった。三十路ってやつである。
もう若者なんて言えない年齢になりつつある。

世間的には専業主婦という立場で、子供もいないので気楽に生きている。
それなりの自由度も与えられている。
他人から羨ましがられる事もある。

別にマウンティングしたいわけではない。
私は現状に何一つ満足していないのだ。

一体何が不満なのか?そう思う人も多いだろう。
私自身そう思う時がある。
一体この生活の何が駄目なのかと。
贅沢な悩みであると。

前からよく考えていた。
「私はこのまま何も成し遂げずにただ死んでいくのだろうか」
別に名誉が欲しいとは思わない。
ただ、自分の生きた証を何か遺したい。

このまま死んだら何も残らない。
だから私は死を恐れていた。
交通事故に遭ったりして突然死ぬ可能性が怖かった。
毎日ビクビクと脅えて生きていた。

この状況が嫌で、二十代後半から何か技術を習得しようとがむしゃらに学んだ。

私の事を最近知った人は”手先が器用な人“という印象を持っているかもしれないが、数年前まではものづくりなんてほとんど出来なかった。
編み物も2年前くらいに母親に教えてもらいながら習得したものだ。

とにかくがむしゃらだった。
何もしないという行為が怖くて出来なかった。
だから息継ぎもせず走り続けてきた。

二十代前半は仕事してない時はゲーム漬けのような生活だったが、ここ数年はゲームもほとんどやらなくなってしまった。
というより、ゲームに割ける時間が取れなかった。
「忙しい」が口癖だった。
私の中に暇な時間なんてものは存在しなかった。
しょっちゅう「暇」と言っている人に「その時間を分けてくれよ」と何度思ったことか。

ただただ怖かったんだ。

当時の私は力が入りすぎていたように思う。
だが、全力で何かに取り組んでいると見えてくる事もある。
「何も遺せなくても別にいいじゃないか」

もし仮に明日突然死んだとしても。
この人生で何も遺せなかったとしても。私は今日までやれる事を全力でやってきた。
それなら悔いはないと。

何かに全力で取り組む。
これは苦しいけど楽しい。
今自分が生きているなと実感出来る幸せ。
それがたとえ誰にも評価されずとも。
お金にならない事でも。成し遂げられなくても。

その事に全力で取り組んだ事実だけはある。
誰にも認知されなくても。自分が胸を張って言える。
ただそれでいいじゃないか。

冒頭に書いた現状に満足していない問題。
出来れば早急に解決したい。
その為にやっぱり私はがむしゃらに頑張っているけれど。
昔よりは焦っていない気がする。吹っ切れたような。

一歩一歩出来る事をやっていく。
ただそれだけだ。

最近は多少は何かを遺せてるのかなと自信もついた。
この駄文だってその一つなのかもしれない。

やりたい事を無理しない程度に全力でやって、気付いたら人生終わってた。
そんなもんでいいんじゃないかな。

肩の力を抜いて生きていこう。

追記(2025年6月21日)

当時は30歳になったばかりだったっけ。
いまや35歳になり立派なアラフォーである。

こうして5年前の記事を読み返すと、ずいぶん青いなぁと思う。
あれから5年。私は何か変わっただろうか。
変わったような変わってないような。

少なくとも社会的に何か変わった実感はない。
何かが大きく評価されたわけでもない。

でもこうして自分のサイトを再び作っているし、なんか色々やってる。
毎日おいしく飯食ってる。
じゃあそれでいいんじゃないか、とも思う。

少なくとも5年前の焦りは無駄にはなっていない
何がしかの糧になっているはずだ。
それが具体的に何かと言われたら答えるのは難しいけれど。
5年前の自分が今の自分を形作っていると考えると、全ては地続きなんだなと思う。