作業が捗ってるんだか捗ってないんだかわからない。
でも多分これでいいんだと思う。
何かを考えている時間って傍から見たら何もやってなさそうだけど、実際は相当な頭脳労働だと思う。
何も進んでないようで進んでいる。だから大丈夫だ。
天皇誕生日。天皇。
かつて現人神とされ、今は実権を持たない象徴のみの存在。
生まれた時から死ぬまで日本という国の象徴として生きるのは、一体どんな気持ちなのだろうと思う。
多くの人は立派な邸宅とキラキラした生活が保証されていて羨ましい、伝統だから当たり前だと思っているのかもしれないが。
どこかへふらっと遊びに行く自由、深夜に急に散歩する自由、ちょっとそこらへんの居酒屋や本屋に入る自由。
友達と気軽に会う自由。
こういった自由を知らないで生きるのって、何だかとても大変な気がする。
自分の外での一挙手一投足が衆人環視に晒されるのって本当に大変そうだなぁと思う。
象徴って、何なんだろうな。
昨日近所のC-plaに行った。
カプセルトイの店だ。が、閉まっていた。
社長が盗撮で逮捕された影響のようだ。
ニュース自体は事前にネットで知っていたが、近所の店も臨時休業で入れなくなっていた。
まあ自社店舗でも盗撮してたみたいだし、一時閉店は仕方ないのだと思う。今後どうなるかは分からないけど。
C-plaは北海道の会社だが、業界内でも成功している部類だと思う。
全国各地に店舗を拡大し、C-pla専用商品なんていうのもある。
店舗に足を運んでも、いつでも人がたくさん入っている。カプセルトイバブル。
まさにイケイケの状態だ。
そんなイケイケな社長のまさかの裏の顔。盗撮魔。
あなたは「こんなので人生棒に振ってバカだなぁ」と思うだろうか?
私もそう思う。
でも本当にそれだけなのかな。
社長は逮捕後に「経営のプレッシャーに耐えられなかった」という旨を供述していた、とニュース記事に書いてあった。
プレッシャー。
もしかしたら、そのプレッシャーの重さと自分のアイデンティティが乖離し続けたその先に「バカな事」をしてバランスを取ろうとする力学が働くのかもしれない。
キラキラしているように見える芸能人やスポーツ選手の不祥事が絶えないのも、それで説明がつくんじゃないか。
みんな「本人の問題だ」って叩くけど。
失敗が全く許されない、常に誰かの規範にならなきゃいけない、自分の本心をひた隠しにして生きなきゃならない。
自分そのものではなくて、自分の仮面のみが崇められる。
そんな毎日、あなたは耐えられる?
人を肩書きに押し込めて、その肩書きしか見ない。
醜い本心は誰も見ようとしない。
醜さが出た瞬間、心無い言葉という石を投げつける。
それって実はとても残酷な事なんじゃないかって思う。グロテスクだなぁと。
人はペルソナ、シャドウの二面性で成り立っているというのが、ユング心理学の定義だ。
だが今の日本社会ではペルソナしか認められない。
シャドウは醜い汚物のような扱いを受け、ひた隠しにするのが美しいとされている。
でもさ。
ペルソナの美しい部分だけ見ても、もう嘘くささしか感じられないんだ。
綺麗な芸能人やYoutuberが表でニコニコ笑っているのを見ても「大変そうだなぁ」としか思えないんだ。
『推しの子』はそういうキラキラした世界の、リアルな人間感情の描写がすごい作品だったなぁと思う。
冷笑系が最近流行ってるのも、キラキラ世界が作り出されたイミテーションだってみんな分かってるからなんじゃないの?
生きている人間を肩書きでパッケージして、ドロドロしたシャドウはその際出たゴミとして廃棄される。
そんな、キラキラ人間の製造工程を察してしまったからなんじゃないの?
ここまで思考が膨らんだ上で、ふと自分に目を向ける。
何者でもない自分。
一応「凡シュール」という屋号を掲げてはいるが、ほとんどの人がそれ何?と首を傾げるだろう。
訪問者数が少ないブログを毎日書き続けて地味な生活を送っている庶民。
ある人が見たら「この人毎日更新してるのに、全然数字が出てなくて可哀想」とでも思うのだろうか?
数字。
最近は特にこの数字というもので、人の価値が決まる。
本当にそうなの?
私は数字が出ようが出なかろうが毎日更新している。
少ないながらよく訪れて見てくれている人がいる。
自分でも記事を書いた当時の事を振り返ったりする。
それで充足してるけど。
私が数字を見るとしても、それはPV数ではない。
UPVは遊びで適当に眺めるものであり、私が重視してるのは投稿数だ。
「投稿ごとにどんどん増えていくな。このサイトはどんどん成長しているな」
インターネット盆栽のようなものだ。
キラキラと飾り立てるでもなく、そっと庭先に置いておく。
たまに通りがかった人に「いい盆栽ですね」と言ってもらう。
充分じゃない?
「もっとたくさんの人に見てもらおう」ではなく「もっとでかい盆栽に育てよう」
というかでかい盆栽を育てれば、必然的に見にくる人も増えるだろう。
注目を浴びるのは、でかい盆栽の副産物に過ぎない。
目的と手段を履き違えない。
これが資本主義に呑まれない一つのライフハックだろう。
話が二転三転して自分でもよく分からなくなってきた。
でも根の部分は繋がった話題ではある。
こうやって好き勝手書けるのも、肩書きなどない幽霊みたいな存在の特権である。
ちょっとした承認欲求のために、これをみすみす手放そうとは思えないな。
















