凡シュール

幸福感と喪失感の混在≒恋?

凡シュールのエッセイ

2021年5月26日にnoteで公開した記事のリバイバル。
現在移行作業中のため一時的に読みづらくなっていますが後日修正予定です。ご了承下さい。

恋という感情について分解して思考した記事。

火曜深夜はANNを聴いて過ごすのが当たり前になった。

0時からのYOASOBIANNXでほっこりし、星野源ANNで笑いながらもまったり過ごし、Cnann0で大爆笑したり。至福のときだ。

今日もいつも通りの楽しい時間を過ごした。

そんな夜の祭典も終わった水曜明け方のこの時間。

なんだか心にぽっかりと穴があいたような感覚。

友達との楽しい会合を終えた帰り道の、何とも言えない喪失感に似ている。

エモい。

あの喪失感をエモいの一言で表現してしまうのは、少し乱暴かな。

この感覚は、恋に近い。

別にラジオパーソナリティーに本気で恋をしているとかそういう話じゃなくて。

でも、やっぱり恋だな。

ラジオを聴いている時間そのものに、愛しさを感じている。

恋という現象独特の、あの好きで仕方なくて胸がいっぱいになる感じ。

幸福感と切なさが同居している不思議な状態。

油断すると独りで泣き出してしまいそうな。

旅行で訪れた思い出の場所、過ぎ去ってしまったあの頃、大好きなあれこれの事を考える時…。

大好きな映画や音楽、本がもうすぐ終わってしまう時、夜が明けてしまう時。

やはり幸福感と喪失感、寂しさが同居している。

恋っていうのは、人に対してのみ発動するものじゃないんだなって思う。

そして…。

何かに恋をし続けている人っていうのは、きっといつまでも美しいのだろう。

男女関係なく。見た目が皺くちゃになっても。それは変わらない。

そんな事をふと思った水曜明け方なのであった。

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