人生の3章終盤。

凡シュールのエッセイ

2020年3月15日にnoteで公開した記事を移行したものです。


私の人生を本の章のように分けるとどうなるだろうとふと考えた。

1章は子供〜学生時代、2章は学校を卒業して、将来の目標も分からないまま若者としての楽しみはそれなりに謳歌した実家でのフリーター生活、3章は気ままな専業主婦として過ごした結婚生活。
こんなに赤裸々に書いて心配なのだが、今、この3章の終盤にいる。

この1ヶ月は本当にどん底にいた。
人生で1、2番目を争うくらいのどん底だったが、重要な決断をしていたので仕方ない。
世の中の情勢とあわさって私の心は押し潰されそうだった。

しかし闇のトンネルは出口を迎えつつある。
4章の始まりへと向かう歯車が動き出している。
4章は一体どうなるのか。

もちろんある程度の苦労はすると思う。
辛い事もたくさんあるだろう。
それでも、最後に振り返って良かったと思えるものであるといい、そう思う。

正直、4章に進むのはすごく怖い。
3章のまま何も起きず、緩やかにエンディングにいっても良かったような気すらしてくる。

変わることを恐れながら ここに留まりたくもない
ひとりぼっちは嫌なのに ひとりで行かなきゃ意味がなくて

どちらも私の大好きな坂本真綾さんの”カザミドリ”という歌の歌詞のワンフレーズだ。
結局こういう事なんだろうと思う。

妥協してそのままでいるという選択肢もあった。
それでも変わりたいと思ってしまったから、やはり進むしかない。
そういうものだ。

鳥籠の中はそれなりに快適だったが、ここは私の本来の居場所じゃないとずっと思っていた。
それなら飛び立つしかない。
心は軽やかだ。今なら飛べるだろう。

新天地を求めて。

追記(2025年6月21日)

まあこの頃の私は随分と青いなぁと今では思う。
鳥籠の外は美しい世界が待っているという希望に満ちあふれている。縋るような希望。

今ならはっきり言えるが、そんな希望なんてものはどこにもない。

だから私は結局この記事にあるように飛び立つことをやめ、今ものうのうと鳥籠暮らししている。
今更それをどうこう思うこともない。これでいいやと思っている。
人生に時に必要なのは、開き直りだ。