凡シュール

仮面

ブログ

2025年2月24日にnoteで公開した記事のリバイバル
この記事の考えがSNS批判に繋がってるんだろうな。

唐突だが、私は仮面というものが好きである。
フィクションでもついつい仮面とか真の表情が隠されたキャラが好きになってしまう。
顔が覆い隠されて表情が見えない状態
仮面の向こう側にはどんな顔があるのか?本心では何を考えているのか?
そういった部分を想像出来る余地があるからなのかもしれない。

仮面が好きすぎて図書館で仮面の本をちらっと読んだ事もある。
仮面は昔から世界中の多くの地域で儀式などに用いられてきた。
大抵は神を演じる人とか、神の使い役がつけるのだろう。
気さくな若い青年だろうが、気難しいおじさんだろうが、仮面をつけてしまえばその人格は表に出なくなる

日本でも能面なまはげがあるが、やはり能面をつければ仮面の向こう側の人物ではなく、あくまでもお話の中の人物にしか見えなくなる。
なまはげも、なまはげという存在にしかならなくなる。

仮面と言って外せないのが、ヴェネツィアのカーニヴァルである。
仮面をつける事で身分や素性関係なく、みんなでお祝いする祭りだ。

普段の自分を覆い隠すからこそ、何のしがらみもなく心から祭りを楽しめるようになるのかもしれない。

仮面をつけると別人になったような気持ちになる。
この考えは現代のコスプレに通ずるものがある。
コスプレもアニメやゲームのキャラに扮装する事により、まるで自分がそのキャラになりきった気持ちになる。
普段引っ込み思案だろうが何だろうが関係なくなる。
まさに現代の仮面の一種といえるだろう。

そもそも仮面ライダー戦隊モノだってそうだ。
普段は普通の若者だが、変身する事により悪と戦う正義の味方になる。

インターネットも仮面に通ずるものがあるのではないか?
もはや古の存在になった2ちゃんねる。匿名掲示板
あの場所はみんなが名無しの仮面を被っていた。
そこに職業や年齢など関係ない。
仮面を被っているからこそ己を曝け出せたりもした。
不思議なものである。

匿名掲示板は廃れ、最近はSNSが主流になった。
今のSNSといえば企業公式、インプレッション、広告、インフルエンサー…
商売関係なくとも、承認欲求がそこかしこに渦巻いている。
あのー、仮面剥がれてますよ。

よく聞くSNS疲れというのは、このへんに起因するのではないだろうか。
誰しもが身分や素性関係なく話せる仮面舞踏会のような場所が求められているのではないか?
そう考える今日この頃なのであった。

Recommend